腕で止まった未来

先月私の使っている腕時計が電池切れしたのか突然止まってしまい、ああ電池替えないとなと思いつつ放置したままなのですが、というのも同じ物を長年使用して来たしそろそろ新しい時計に代えても良いのではないかと思い始めたからで、飽きずに同じ物を使って来たけど交換するタイミングというものは突如訪れるのだなと時を刻むのをやめた腕時計を見ながらぼんやり思ったりしているこの頃です。
思えばこの腕時計は17年前くらいに知り合いのバンドのベーシストの女の子が着けているのを見て「ああ、可愛いなあ、自分も同じ物が欲しいなあ」と思って「それどこの何てやつ?」と聞いて後日いそいそと買いに行ったもので(当時プレゼントしてくれるような人はおりませんでした)、ズッカというブランドの物で値段は3万円くらいだったと思います。シルバーに黄緑色が入ったシンプルなデザインで、とても気に入ってそれ以来ほぼ毎日着けておりました。そして気が付けば10数年が経過していたというわけです。そのベーシストの女の子はその後結婚して離婚してバンドをやめて田舎に帰り再婚してお母さんになったと聞きます。同じ腕時計をしていたけれど彼女とは時を刻むスピードと重みが違うような気がしてなりません。激動の人生を送った彼女の腕にその後も同じ腕時計が着いていたのかどうかわかりませんが、私は平凡な人生を送りながらのほほんと同じ物を10数年も着けていたわけです。部品も欠けてなくなったりしているし、経年によりくたびれて来ているし、替えるタイミングはこれまでもあったのですが、「まあいっか」で同じ物を着けて来たのです。そういう意味では腕時計に無頓着であるとも言えるかもしれません。何十万もする高級な腕時計をしている人の気持ちが理解出来ませんし、「馬鹿だなあ、そのお金でレコード何枚買えるんだい」と本気で思ったりします。まあ余計なお世話ですけどもね。
私は遅刻を恐れるせいか家のアナログ時計を10分ほど進めておく習性があり、この腕時計も常に10分進んでいる設定にしていました。おかげでいつも10分先の未来に生きていたのですが、長年使用していると頭の中で10分遅らせる作業をしながら時を確認する癖が付き、結局意味がありませんでした。この腕時計は10分先を示したまま時を刻むのをやめたのだなあと思うと「止まった未来」というタイトルを付けて飾りたくもなります。たった10分の未来ですけどね。
スマホを使うようになって結局正確な時間は随時スマホで確認するようになり、アナログの腕時計は「だいたい13時か」とぼんやりとした時間の確認でしか使わなくなったのですが、ぼんやりとした時間の確認も必要な気がする私です。私は近眼で視力が0.01くらいしかないのですが、裸眼で見るぼんやりとした世界をなくしたくないので、レーシック手術は嫌だなあと思ったりしています。何となくそれと似ているような気がします。時間に鈍感でいる自分も必要なのです。
しかし今更欲しい腕時計もないし、新しい腕時計を買うくらいならレコードを買った方が良いかという気持ちもあり(全然別ものですけど)、迷っています。いっそ同じ時計を買い直すというのもありかもしれないと隙を見付けてはオークションサイトを見たりしています。(さすがにもう製造されていない型なので中古で探すしかないのです。)それって生まれ変わってもあなたと結婚するわ的な気色悪さも少し感じるのですが、10数年間も腕に同じ物を着けていると愛着が湧くのです。
そんなこんなしていたらもう2月も終わって3月になってしまいました。時の海を泳いで古い時計を探し出す、時のロマンとも言うべき旅に出ようかと思いながら結局時間に追われている日々です。ぼんやりとした豊かな時間を欲しいものです。