日々ドラえもんレス

気が付けばもう2022年の2月になっておりました。五十嵐は何でブログを更新しないのだ、断筆宣言でもしたのかと思われた方もいるかもしれませんが、単純に書く時間がなかったのです。
2021年の10月頃からもう年末に向けての干支の準備や海外からの注文、オーダー依頼などで慌ただしくなり、その合間を縫って11月には草とten shoesでフェスに出演するために富山に行き、戻って来たら干支の絵付けワークショップなどのイベント、お店やネットの注文などでてんてこ舞いになり(書いてみて思ったのですが、てんてこって語感が可愛いですよね)、その合間に久々にfishing with johnバンドで集まってのネット番組出演、12月には山田稔明with夜の科学オーケストラのライブがあり、その後も年末年始の催事に向けての準備や注文などに追われ毎日ひーひー言いながら仕事に追われておりました。徹夜が出来ないので、逆に早めに寝て明け方の3時か4時くらいに起きて仕事をするというスタイルで回しており、「これでコロナにでもなったら終わりだぞ」と様々なプレッシャーに追われながら年内を駆け抜けました。気付けば毎日のように「遅くなって申し訳ございません」という内容のメールを送っている自分がおり、何本もの締め切りに追われて執筆していた藤子不二雄先生もこんな気持ちだったのだろうかとふと「まんが道」のワンシーンに己を重ねてみたりもしました。「ドラえもん、助手を出してよう〜」と居もしない猫型ロボットに願ってみたりもしたのですが、傍らにいるのはミル坊ココ坊という実在の猫だけです。彼らはアイテムを与えてくれるどころか「ご飯を出してよう〜」と私に要求して来るのです。野比のび太かきみらは。実際伸び伸び過ごしているけれども。ドラえもんはこの世にいない。それを実感した年末でした。
元旦からは恒例の帝国ホテル出店、その後も年末の注文を捌くのに追われ、2月頭の銀座松屋の猫イベントの準備も重なり、結局1月もてんてこ舞いで(てんてこ再び)、2月は銀座の猫イベントに実演に行き、それが終わったら今度は雛人形のシーズンに入りまたてんてこ舞い(てんてこ三度)という状況を経て今ココという感じです。何だ五十嵐は忙しい自慢か、頑張っているアピールを全世界に発信しているのか、はいはいはいと思われた方もいるかもしれませんが、本当にそんな感じなので仕方ないのです。ドラえもんレスな日々。「遅くなって申し訳ございません」というメールが「早めに納品いたします、えへへ!」という内容に変わる日を待ちたいところです。
エンタメも限られた時間で楽しまないといけないのですが、私の場合、仕事しながらラジオや音楽も聴けるし、動画もながら見出来るのはありがたいことです。ビートルズの「GET BACK」もそんな感じで鑑賞しました。これを見るためだけにディズニープラスに加入しないといけないのか、何なのだそれは!サブスクばっかり増えるじゃないか!と思っていたのですが、山田バンドのリハの時に山田氏も近藤さんもイトケンさんもその話できゃっきゃと盛り上がっており、話を聞くにこれは見ないといけないやつだと思い、帰り道に早速ディズニープラスに加入し、電車内で見ながら帰りました。リハスタでのビートルズのリアルなやり取りに興奮し、「おいおいレット・イット・ビーが生まれてる瞬間が映ってるっぞ」「オノヨーコは何で夫の職場ででかい顔してんの?」「結構ジョージ発言するんだな」「ていうかみんな若い!」などと初めて見るビートルズを楽しみました。IMAX劇場でのルーフトップコンサートの上映も見に行こうかなと一瞬思ったのですが、あやに「ゆうくんディズニープラスに課金して見てるものをさらに課金して映画館で見るの?どんだけビートルズに課金するの?」と言われふと我に返った次第です。思えばCDもレコードもカセットも、やれリマスターだ再発だボックスだと何枚も同じもの買ってるし、ずっとビートルズに課金する人生を送っているのだなと己の生き様を顧みた次第です。
そんな感じでぬるっとブログを再開しました。隙を見て更新したく思っております。本年もよろしくお願いします。てんてこ。f:id:fishingwithjohn:20220215102431j:image
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追憶のチャーリー、永遠の半券

チャーリー・ワッツが亡くなって以来、ずっと家にあるローリング・ストーンズのレコードを聴いていて、「あー、あのアルバム持ってなかったなあ」と思い出してはそれを買いまた聴くといった感じで、改めてストーンズにハマっています。本当にかっこいいバンドだなあとしみじみするばかりです。ストーンズの曲をチャーリーのドラムで聴けない日がやって来るなんて。(ちなみにジャニーズにもストーンズというグループがいますが、世界的に有名なロックバンドと同じ名称を付けるって何考えてるのかなと毎回名前聞く度に思います。)

私はストーンズの来日公演を90年、95年、14年と3回見に行っており、14年の時は「今後メンバーの誰かが死んじゃうかもしれないから」という不謹慎な理由からだったのですが、結果的に最後にチャーリーのドラムを生で聴けて良かったなと思い返しています。彼のハイハットとスネアを同時に叩かない独特な仕草をよく真似したものです。「She's a rainbow」のサビのドコドコと疾走感溢れるタム捌きや、「Angie」の「アンジ〜」と歌う直後のシュッという鋭いハイハット、「Midnight rambler」のグルーヴィーなドラミングも忘れられません。
彼らの95年の来日公演時のパンフレットが手元にあったので見返したら当時の新聞や雑誌の記事の切り抜きが挟まっていて、昔はよくこういう切り抜きを取っておいたなあと懐かしい気持ちになりました。今や新聞も取っていないし、雑誌も買わなくなったし、記事を切り抜く行動も起こさないですしね。95年というとまだネット環境がなく完全に紙文化だったのもあるのでしょうが、好きな物に関する記事を手元に集めたいという情熱があったのでしょう。大手新聞の文化欄に載っている特にたいしたことも書いてないライブ評もありがたく切り取っていて、当時の五十嵐青年は「わ、新聞にストーンズのことが載ってる!」と興奮してハサミを取り出し、ジョキジョキと丁寧に切り取ったのでしょう。ロックとは程遠い可愛い行動に思えるのですが、何かええやん、そんなん好きやでと当時の自分に思った次第です。
昔知り合いから借りたCDの歌詞カードにそのアーティストのコンサートチケットの半券が挟まっていたことがあり、私も同じことをしていたのでその人にぐっと親近感が湧いたことがあるのですが、半券も切り抜きと同じく貴重な記憶の欠片でしたね。最近は取っておくこともなくなりましたが。今は別に記憶として心の中に残っていればええやんくらいの気持ちでいるのですが、貴重なライブを見た興奮を何とか手元に残したいという情熱が昔はあったのだなと思います。半券の良いところはその半分は会場に残して来たということでしょうね。もぎられて捨てられたにせよ、当日その現場に落として来たという。その持ち帰った半分を歌詞カードに挟んでおくなんて行為は電子チケットでは出来ませんからね。まだチケットぴあの味気ないデザインになる前の個性的なデザインのチケットの半券とかが高値で取引されているのを見ると、そういうロマンは誰にでもあるのだと思います。
チャーリー・ワッツのドラムを聴きながら、自分はあの時の来日公演のチケットの半券を心にずっと残したまま過ごして来たのだなあとしみじみしました。これからもたくさんのライブや舞台のチケットの半券を心に残していきたいものです。何しろ「時は誰も待ってくれない」のだし。「Time waits for no one」の時を刻むようなチャーリーのリムショットを聴きながらそんなことを思った私です。(写真は中学の時に初めて買ったストーンズのレコードです。)

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その先にあるFuture

気が付けば9月になっておりました。早いのです。毎年のように「8月が終わったら大晦日」というプチ鹿島氏の名言を思い出すのですが、ここまで来たら年末まであっという間です。このままコロナに健康に気を付けながらも慌ただしく過ごして行くのだろうなという感じです。

健康といえば先日近くの病院へ夫婦揃って健康診断に行って来まして。地元のおじいちゃんおばあちゃんしか来ない古い病院で、地元のおじいちゃんおばあちゃんたちに囲まれながら順番を待ち、心電図やらレントゲンやら採血やら身体測定やら一連のメニューをこなしました。コロナ禍の逼迫した雰囲気はなく、地元のおじいちゃんおばあちゃんの憩いの場のようでもあり、何となく懐かしいようなほっとする感じがありましたね。でも待合室の忘れ物の棚になぜかレコードコレクターズのセックス・ピストルズ特集号が置いてあり、パンク魂を持った老人も来るんだなあと感心してしまいました。あの黄色い装丁とジョニー・ロットンの勇姿が地元のおじいちゃのばあちゃんしか来ない古い病院の待合室に異質な輝きを放っており、思わず「No future for you〜」というピストルズの曲の一節を思い出したのですが、おじいちゃんおばあちゃんに聞かせるには少々毒があり過ぎる歌詞だなと思った次第です。おじいちゃんおばあちゃん、まだまだ未来はあるから大丈夫ですよ。
健康診断のカルテに飲酒についての欄があり、毎晩のようにかなりの酒量を嗜んでいる私は「叱られるかなあ〜」と点数の悪いテスト用紙を提出するかのような気分で出したのですが、肝臓の数値も気になるところです。本当に健康でいられる奇跡というものを実感する日々です。少しでも体調悪いと「すわ、コロナ来たか!」と身構えますもんね。もうリアルな知り合いがリアルに感染しており、明日は我が身と思いながら過ごしています。
同じく健康といえばこの間歯の詰め物が取れたので歯医者に赴いたのですが、だいぶ歯石が溜まっているとのことで、掃除してもらうことになり。先日大々的にクリーニングしてもらったのですが、ぎゅいんぎゅいんと削られ、舌で触ると「え、こんな感触だったの?」と驚くほど綺麗になりました。後で「お前どんな適当な歯磨きしとんねん、こんだけ歯石溜めよってからに」と優しい口調で諭され、「叱られたなあ〜」としょんぼりしながら帰ったのですが、歯の健康の方も気を付けたいところです。この歯医者も地元のおじいちゃんおばあちゃんしか来ない古い病院で、待合室には「ゴルゴ13」と「鬼平犯科帳」が置いてあり、さいとうたかを推しなんだなと思ったのですが、もう少し平和な読み物を置いても良いんじゃないかと思った次第です。ゴルゴ13といえばコミックス200巻を超えてギネス更新したそうですね。この間こち亀がまさかの201巻を出したけど、すぐにゴルゴが202巻を出すそうで、ゴルゴの独走は続きそうです。殺し屋とお巡りさんのデッドヒート。
そんなゴルゴとピストルズに想いを馳せながら健康に気を付けている9月です。私たちも地元のおじいちゃんおばあちゃん予備軍なのだなと後で何となく思いましたけどね。我々に未来はどれだけ残っているのか。その未来が明るいことを願ってやまぬ私です。

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パラレル五輪、猫の時間

気が付けば8月も半分終わってしまいました。本当に早いのです。あっという間に時が過ぎてしまうので、自分は人ではなく猫の時間で日々を過ごしているのではないかとふと思うことがあります。猫は人間の5〜6倍で時間が過ぎていると聞きます。そう考えると猫があくびをしたり毛繕いをしたりにゃあと鳴いたりする全ての行為が尊く思えて来ますね。

7月は中国や香港やマカオや台湾などアジア界隈の店やお客さんからの注文が増え、「あれ自分、アジアでプチブレイクしてない?」とプチ喜んだりしたのですが、実際注文を捌くのに忙しく、プチ喜ぶ余裕もなく日々がすぐに過ぎて行きました。オリンピックなる催しもいつの間にか終わっておりました。元々スポーツにあんまり興味がないし、家にテレビがないのもあり、本当に1秒も見ないまま終わったので、それこそIOC言うところのパラレルワールドの出来事のようでした。丸川五輪相言うところの別な地平の視点ってやつなんですかね。それでもどこぞの市長が金メダルを齧る醜悪な画像は何度も目にしましたけどね。彼は「ゴールドイーターたかし」とかいう間抜けな異名でも名乗れば良いと思います。
五輪関係のニュースはそれこそ始まりからどれも醜悪で、招致に伴う賄賂やエンブレム盗作、関係者による前時代的な舌禍の数々(本当に森の爺様は何とかした方が良いと思います)、開会式にまつわるゴタゴタなど聞くに耐えぬものばかりだったし、このコロナ禍に海外から大人数を集めて運動会をやるなんて狂気の沙汰だと思っていたので、こんな電通パソナが儲かるだけの利権まみれの催しに4兆円も費やしただなんて呆れてものも言えぬといった気持ちです。アスリートと同じく我々市民も日々命を懸けて生きているのです。そして五輪以前に政府はコロナ対策に明らかに失敗しているのです。五輪は安心安全だなんて嘘の極みです。まずは優先してコロナ対策に命を懸けるべきだったと思います。状況的に延期という判断もあり得たと個人的には思っています。
そんな五輪反対派の私ですから、開会式に自分の好きなクリエイターが関わっていると知った時は少々がっかりしたというのが正直なところです。小山田圭吾小林賢太郎両氏のことですけどね。小山田氏の問題のQJの記事は当時リアルタイムで雑誌を買って読んでおりました。大きな書店で平積みにされていたのでそこそこの部数は売れていたのでしょう。読んで相当悪趣味な記事だなと思ったし、「小山田って性格悪い嫌な奴だな〜」というざっくりな感想を抱きましたが、当時はSNSはおろかネット環境すらなかったし、誌面に葉書を送って抗議というまでの熱量は自分には起きませんでした。時代的にも炎上という現象には至らなかったのでしょう。今程コンプライアンスという概念も薄かったでしょうし。フリッパーズの頃から生意気な態度を取るキャラという印象だったし、お洒落だけど悪趣味な要素を盛るみたいな自己演出や、ある程度サービスで大げさに話している部分もあるのだろうという理解がありました。まあ25年前の記事なので私も正直詳細をすっかり忘れていたのですけどね。でも改めて読み直したらおよそ擁護し難い内容で、いじめは厳然たる事実ではあるし、五輪という世界的な大会に関わる立場としては辞任は妥当だし、批判は致し方ないと思いました。25年前から時代は変わったということをつくづく実感しました。当時はあの記事が許されていた牧歌的な時代であったという認識です。何で彼はあんなことを誌面に残したのかなあとつくづく思います。とはいえ元記事すら読まずに刺激的な部分の抜粋だけを目にして、正義を盾に彼を完膚なきまでに叩くネットの大多数の声は見ていて酷いなと思ったし、それこそ逆にいじめの様相になってやしないかと思いましたけどね。この問題は度々ネットでも蒸し返されていたし、ちょっと前にエレキングから出たコーネリアスの特集本でもこの記事に関して何の言及もなかったので、今回を機に公式に謝罪の言葉が彼から出されたことはファンとしてはちょっとホッとしたというか、良いことだと思いました。エレキング編集長の野田氏が「あの本の編集中にこの記事のことを知っていれば本人に直接聞けたのに」と発言されてましたが、この件についての彼の現在の思いがあの誌面に載っていればここまでの炎上はなかったのではないかと思いました。
あと小林賢太郎氏の件ですが、私はあのネタ自体を見たことがなかったのですが、ユダヤ人大量惨殺ごっこという文言は不謹慎過ぎるし、ホロコーストについて触れるのは完全にアウトなのでこちらも立場的に解任という判断は妥当だし、世界的な批判も致し方ないと思いました。でもあのネタ全体の構成を見ると「NHKで取り扱ったら駄目な事例」としてホロコーストを挙げているわけです。決してネタ中でそれを肯定しているわけではないのですね。それなのに「ホロコーストを賞賛するネタをやっていた」みたいな雑な紹介をしている媒体があったり、やはり元ネタを見ずによく知りもしないまま抜粋だけを目にして正義を盾に彼を叩くネットの声が溢れていて、見ていてやはり心苦しいものがありましたね。小林賢太郎のその後作られたネタを見ていれば彼の謝罪文にあるように「人を傷つけない笑い」へシフトしていったのは明らかだし(その言い回しはいかがなものかとは思いましたが)、ラーメンズはこれまでの本ネタを全てyoutubeに上げていて、その広告収益をすべて災害復興支援に寄付しているのは知られた話ですが、そこにあのネタは勿論上がっていないわけです。私的には彼らはあのネタをとうにボツにしていたのだという認識でいます。あのネタがソフト化されて流通していた牧歌的な時代があったという事実にやはり時の流れを感じました。彼が謝罪文で言っていた通り若さ故の無知であったのだろうし、私ら受け取る客も当時は無知であったのでしょう。開会式の様子は聞くところによるといかにもコバケン演出といった感じだったし、キャストも「これまんまカジャラじゃん!」といった並びでした。私的には彼がこれだけケチの付いた五輪に関わっていること自体が残念だったし、この炎上した後に解任という事態も残念だったし、色々複雑な思いもあり開会式は結局見ませんでした。(そもそも家にテレビがないので見られなかったのですが。)このふたつの騒動が開会式直前に怒濤のように起こり、もう気持ち的に整理がつかないよという感じでした。ただただ残念でした。
著名人の過去の失言や不適切な行為を理由に地位から下ろしたり排除したりする所謂キャンセルカルチャーはSNSの普及で加速した感がありますが、それにより差別や偏見、ハラスメントが糾弾されるのは良いとして、その攻撃性と不寛容さは正義を盾にしている分、暴走すると危険な感じもします。(本当によく知りもしないのに乗っかって叩いている人の多いことよ。)無知であった過去の誤った行為のみで、その人の現在と未来を閉ざして良いものかという思いもありますし。またこういうことがあると表現の自由を萎縮させる一面もあるでしょうしね。竹中直人氏も開会式直前に降板したそうですが、それも過去の不謹慎なネタが理由だったと聞いています。不謹慎、ブラックなお笑いが完全に排除されるのは果たして本当に健全なのかという思いもあります。それで言ったら落語も現在のコンプラ的にアウトなネタいっぱいありますからね。

あと小山田氏に関して言えばコーネリアスフジロック出演がなくなったり、彼の所属するMETA FIVEのアルバムが発売中止になったり、仕事を根こそぎ奪うのは果たして正しいのかという思いもあります。清廉潔白な人間などどれだけいるのかという話ですし。裁くのはあくまで法ではないのでしょうか。(まあフジロックに関しては彼もしばらく公の場に顔を出したくないでしょうが。)私は小山田圭吾小林賢太郎の作る作品が好きなので、個人的には今後も作品を楽しみにしたいと思っていますけどね。
あとスポーツが大好きで五輪での選手の活躍に感動する人のことは全く否定する気はないし、それはとても美しいことだと思っています。私が疑問を抱いているのはあくまで政治の問題ですので。アスリートを攻撃するのはお門違いも甚だしいと思っています。あとナチスの手口に学んだ方が良いなどと発言していた麻生の太郎くんが辞任しないのはおかしいんじゃないかと一方で思ったりしています。(こちらはコバケンよりも悪質だと思っています。)
コロナ感染者増大を憂うニュースと日本選手のメダル獲得を祝うニュースが共存するのを目にしながら、私はどっちのパラレルワールドに生きているのか、どっちでもない猫の世界で猫の時間を過ごしているのか、くらくらしながら五輪の夏を過ごしました。
生きているだけで金メダル。うちの猫たちを見ながらそんなことを思いました。まあ猫に小判とは言いますけどね。

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写真と記憶、ビート

気が付けば上半期も終わり下半期に突入です。本当に早いのです、時の流れは。日々慌ただしく過ごしているうちにあっという間に1年なんて経ってしまいますね。8月が終わったらもう年末というプチ鹿島氏の名言をいつも思い出しながら過ごしています。

この間実家から小中高時代の卒業アルバムが送られて来たのですが、みなさん卒アルって手元に保管しているのでしょうか。実家に置きっぱという方も多いかと思いますが。「そつぎょう〜しゃしーんのあのひとは〜」とユーミンよろしく見返すこともないし、「懐かしいな〜」なんて過去を振り返ることもこの先ないと思われたので、全部紙ゴミの日に「え〜い!」とダンクシュートの如く叩き付けて処分してしまったのですが、妙にすっきりとするものですね。卒アルを捨てちゃうと。当時は個人情報なんて概念がなかったし、生徒や教師の名前や電話番号、住所も全部掲載されていたので、その部分だけは一応こちらで処分しましたけどね。今や写真は撮ってすぐネット上でシェアする時代ですが、卒アルもある種のシェアといえばシェアなのでしょう。しかし過去からのシェアは時に処理に困るのです。もう過去など振り返らないと書くとかっこつけかもしれませんが、あのかさ張るものを本棚に入れておく物理的な余裕がないのです。本棚には好きな本や新しい本を入れたいのです。
卒アルと共に幼少期や学生時代の写真もたくさん送られて来たのですが、まず今後見返すこともないし、これをデジタル化して保存する暇もやる気もないので、おそらく処分することになるのですが、スマホやデジカメで撮ってすぐPCやハードディスクにデータを保存出来る現代ってめっちゃ便利だなあと思いますね。今撮っているうちの猫どもの写真もデジタルで残ることになると思いますが。
過去に撮ったものでは旅行先の観光地やお祭りなどイベント時に撮った写真よりも、フィルムが余っていたので何となく自宅前で撮ったみたいな何気ない写真の方が味わい深く感じるのはより個人の記憶に近いからでしょうか。当時はフィルムを使い切らないと勿体なくて現像に出せないからと雑なスナップを撮る機会がよくあったのですが、その雑さの方に愛おしさを感じます。でももう見返す必要がないなと思ったのは自分の記憶の中に人物や風景が残っているからでしょうか。今回たくさんの過去の写真を眺めて、心に残っていたらそれで充分なんじゃないかと思いました。金八先生の名言「心のフォルダに保存」を実践してるじゃん自分、と驚きましたが。
最近はインスタグラムのストーリーズにちょこちょこ投稿しているのですが、24時間で消えちゃうし、その日見たものや会った人などを気軽にシェア出来て、何かこれくらいでちょうど良いなあと思っています。残したい写真は本投稿すれば良いし、書きたいことがあればこうしてブログに書きますしね。
高校時代に組んでいたバンドのライブ写真も出て来たのですが、当時私はベースを担当していて、ひたすら速いエイトビートばかりを刻んでいたなと思い出しました。そして2021年の現在、買ったばかりの新しいベースを弾いてゆったりとしたビートを刻んでいる自分がいます。今を生きていれば過去も自然に付いて来るものです。

今回卒業アルバムを卒業したという、そんなお話です。

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部屋の中のノマド象

6月は祝日が一日もないと聞いてふとカレンダーを確認してみたのですが、元々祝日に休む生活をしていない自分にはあまり関係がないし、へえそうなんだと日にちと曜日をぼんやり眺めるだけに留まりました。そういえば今月締め切りの仕事が何個かあったなと気付き焦らされ、むしろカレンダーなどじっくり眺めるものではないなと思った次第です。「休日は暦通り」とか聞くとたくさん休めて良いなと思う一方、国が決めた暦に従って休むのも何か癪に触るし、自分が休む日くらい自分で決められる生活が己には合っているなと改めて思ったりします。

ここ最近、寒くなってからずっとさぼっていた運動をまた再開し、海までウォーキングしたり家で体を動かしたりしています。なかやまきんに君youtubeに「世界一楽な筋トレ」という動画があり、なるべく楽をしたい我々は「何だと?世界一楽だとっ?」と即座に食いつき、毎日その動画に合わせて筋トレをしています。この動画、我々のように毎日見ている人がいるせいか再生回数がえらいことになっており、秀でた特技があるというのは大事なことなのだなとしみじみ思いながら運動しています。たまにネタ番組で見るだけだったきんに君を毎日のように見る生活を送ることになるとは。きんに君のネタは元々嫌いではなかったですが、今では筋トレの先生として尊敬の眼差しで見るようになっています。きんに君の「頑張ってあと少し!」の掛け声に「は、はいっ!」と励まされる日々。ちょっと坂を上るだけで息が切れたり、切った傷がなかなか治らなかったり、なるほどこれが加齢というやつかと実感する機会が多くなっているのですが、そんな身体と向き合って生きて行かねばならないのです。

ところで最近話題になっている中国で象の大群が北へ移動しているという不思議なニュース、手塚治虫先生の漫画にそんな話なかったけと思ったのですが、何日か前にこのブログでも象の話を書いたことを思い出しました。英語で「see the elephant」は「経験を積む」という意味だとそこで書いたのですが、実は他にも象を使った面白い慣用句があるのです。「elephant in the room」というのがそれで、「見て見ぬふりをされた問題」「タブー視されている事象」という意味だそうです。部屋に大きな象がいたら絶対に見過ごすことはないという発想から生まれた言い回しだそうですが、世の中には結構たくさんありますよね、そんな事象。明らかに存在するのになかったことのように触れられない問題。今や「五輪は延期か中止すべき」という世論がまさに現政権から見て見ぬふりをされているような気がしてなりません。専門家が「この状況で五輪は普通はあり得ない」と疑問を述べたら「自主的な発言だ」と切り捨て聞く耳を持たぬ姿勢。「いや、そこに象いるんですけど?」と問いたいところですが、邪魔な象はいないことにされているようです。何となく象の大群たちはそんな状況を見て「僕らはここにいるよ〜」と移動しながら訴えかけているのではないかと思ったりしてしまいます。自分に不都合な物はなかったことにしてしまう、そんなものへの疑念を発信しているのではないかと。

そういえばその移動中の象の何匹かが途中酒造所へ立ち寄り、酒を飲んで酔っぱらって寝てしまったというニュースには個人的に親近感が湧いてしまいました。象にも酒好きがいるんかいと。我々と一緒やないかいと。これも現在緊急事態宣言下に於いて飲食店で酒の提供が禁止されている状況に「いや、僕らはお酒を飲むよ!変だものその決まりは!」と疑念を発信しているのかもしれません。アンプ内蔵のギターZ0-3が海外では「NOMAD」と呼ばれていると前にも書きましたが、まさにこの象の移動はノマドそのものです。誰かが決めた場所や暦、そんなものには縛られない自由な象の姿は私にはとても強く美しい存在のように見えます。
大勢の象がどこへ行き何をしようとしているのか。わかりませんが、何だかロマンをかき立てられます。今後もsee the elephantしていこうと思っている私です。

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シカカタン考

5月もあっという間に終わってしまいました。もう6月とは。

緊急事態宣言延長とのことで、またお店で酒が飲めないと思うとやるせなくなり、ついお店で酒を飲みたくなるのですが、それが出来なくてまたやるせなくなるのです。そりゃあ路上飲みも増えるというものです。なぜならお店で飲めないのだから。国を上げての感染対策が禁酒だなんて後世に笑われることでしょう。何よりあんたらこの1年何やって来たのよという話です。感染拡大してるのにGO TOだとかGO RINだとかGOさすなっちゅー話です。こんな状況に於いて何が何でも五輪を開催しようとする一部の人間の金と利権を貪る浅ましさたるや。何の根拠もない安心安全を繰り返す原稿読みマシーンのような首相の会見を見ながら「もうこの国終わってるなあ」と諦観の域に達し、猫を撫でながら家で酒を飲んでいます。酒場で静かに酒を飲んで肴をいただく癒しの時間が欲しいのです。五輪なんていらんのです。もう酒しか勝たんのです、私は。
ところで最近よく聞く「〜しか勝たん」という文言、最初耳にした時は「シカカタン」という不思議な語呂が「鹿加担」という漢字に変換され、奈良の公園にいる鹿たちの様子が思い描かれたものです。鹿が加担することとは何なのでしょうか。男たちの悪だくみ(by安倍昭恵)みたいなことでしょうか。世の中の事象全てに鹿が加担していたら面白そうですけどね。五輪も鹿加担。IOCの人たちも全員中身は鹿。選手村に配布されるのは15万個の鹿せんべい。五輪のテーマソングは吉永小百合の「奈良の春日野」です。「奈良の春日野 青芝に 腰をおろせば鹿のフン フンフンフーン黒豆や」でお馴染みのあれです。代々木公園の樹を切るのも奈良公園への変身が目的だったのかもしれません。鹿の加担する五輪。アルマゲドンでも来ない限り開催だそうです。フンフンフーン。
まあ五輪に関して言えば鹿の前にもう1匹動物がいそうですけどね。そう馬です。馬鹿ってことです。五輪に関しては招致の段階から馬鹿ばっかりあぶり出されている印象です。馬鹿発見器だなあと思いながら見ています。一番可哀想なのはアスリートの方々ですけどね。彼ら彼女らには何の罪もないのに。
この間久々にテレビを見たらテロップで「緊急事態宣言発令中」「感染者数○人」「死亡者数○人」「まん防発令中」みたいなのがずっと流れている横で「バスケチーム、オリンピック出場が決まりました!」とめっちゃ明るいムードで報道されていて、「え、そのふたつ共存するの?」と不思議な気持ちになりました。五輪だけがコロナ禍ではない世界の事象のようです。鹿と馬の加担する五輪。
どうせなら猫の加担する五輪を見たいものだと思いながらミルココを撫でている私です。こんな状況いつまで続くのでしょうか。f:id:fishingwithjohn:20210604065559j:image
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