茶柱を寝かせて

ここ数日仕事で新宿駅地下の人通りの多い構内で
早朝から晩遅くまで商売しているのですが、
駅は色々な人が通るので面白いですね。
一日60万人もの人々が行き交うそうですしね。


今日などはうちの商品であるところの招き猫を指差し、
「これって縁起物ですか?」と聞く人がいるので
「ええ、大変に縁起の良い物ですよ。」と応えると、
「ああ、じゃあ買えないわ。残念〜。
私、信仰上の都合で縁起物は家に置けないんです。」と
意外なリアクションをよこしてきたので、
慌てて「いや、世間では縁起物とされていますが、
ただの可愛い猫ちゃんの置物と思い込めば大丈夫ですよ。
御利益とかそういうのは関係ないただの置物です!」
と逆セールストークを展開するに至ったのですが
「いや、縁起物は駄目なんです、すいません〜」と
その人はあっけなく去ってしまい、
縁起物全面禁止の宗教なんかあるんだなーと感心しつつも
存在を拒否された我が子たる招き猫を何だか不憫に思ったのでした。


信仰の対象となる存在以外からご利益を得るのを禁ずる思想って
「私以外の女子と付き合っちゃ駄目!」と
携帯内の女性の名前の番号とアドレスを全部消去しちゃう的な、
そんな独占的なノリなのかなと思うのですが
まあそれで幸せを感じる人もいるわけなので
人それぞれということなんでしょうかね。
ちなみに縁起物禁止というその人の家で
お茶に茶柱でも立とうものならえらいことになりそうですね。
「縁起良過ぎ!その茶柱今すぐ寝かせて!」みたいな。
茶柱を寝かせ招き猫をただの置物化させるほどの信仰の対象とは
如何なる巨大な存在なんでしょうか。
まさにそれは神のみぞ知るということで。