落書き、ディランとガンジー

世界遺産であるフィレンツェの大聖堂に日本人短大生が落書きしたという事件ですが、
他にも日本人学生による落書きが見付かった他、
高校野球の監督である教師の落書きも見付かったそうですね。
教師はこの件で野球部の監督を解任されたそうですが。
世界遺産に落書きとは大胆不敵なる行動と言うか、
モラルを問われて然るべき行動であると言わざるを得ないですけどね。
前にもAAAのメンバーが海外の観光地の岩にスプレーで落書きして
あろうことかブログで公開して炎上したという事件がありましたが。
AAAって「ああ見えて頭悪いわあの子たち」の略じゃないかしらと思ったものです。


世界遺産といえばアンコールワットには江戸時代の日本人武士の落書きが残っているそうで、
歴史的にも貴重な落書きとなっているそうですね。
まあそれは信仰心に溢れた真摯なメッセージで、
大学生の観光記念の落書きとは趣きが異なるものですけどね。
その頃から日本人による落書きがあるのかと思うと感慨深いですけどね。
あれから時を経て平成の若者の落書きの薄っぺらさたるやという感じもしますが。


よく街中の壁やシャッターなんかにグラフィックアートが描かれていますが、
あれもざっくり言えば落書きになるわけですが、ああいうのもモラルが問われますよね。
ああいう文化があるというのはわかるんですが、
もし自分の店のシャッターや壁にやられたら「あたしゃ許さないよ!」と、
往年の浅香光代ばりのテンションで怒りを表明する心積もりはあるのです。
人の持ち物でアートするなよ馬鹿者、と小一時間ほど説教したいくらいです。
まあその小一時間ほど人生に於いて無駄な小一時間があろうか、いやない、
と反語を用いて思うので実際説教はしないと思うんですけどね。
静かにポリスをお呼びするだけですが。
まあ余程絵心と思想とデザインとセンスが良ければ別ですけどね。
まあそれも自分の家の壁にして下さいようー、とお願いしたい所存ですよ。
やはり落書きはされたら気持ち良いものじゃないですからね。


伊坂幸太郎氏の「重力ピエロ」という小説に
グラフィックアートを所構わず行ない、反省の余地のない若者の自宅の壁に
逆にグラフィックアートを仕返してやるというくだりがあり、
その描写がまた読んでて痛快な感じだったんですが、
人の持ち物に落書きする者は自分の持ち物に落書きされても構わないという
覚悟のようなものを持った者だけがするべきじゃないかと思うのですけどね。
伊坂氏の小説ってこの手の道徳観や正義観がよく見られると思うんですけど、
私は割に共感を覚えるのですよね。
アヒルと鴨のコインロッカー」で「神様に見て見ぬ振りをしてもらおうよ」と
ディランの歌声を閉じ込めるくだりが私は好きなんですけどね。
これも人に痛みを与える者は自分が受けても構わないという覚悟をもってするべきという
同じような信条によるものだと思うのですけど。
今回落書きをしてしまった教師は監督解任という痛みを受けてしまったわけですが、
逆に神様はきちんと見ていたということでしょうかね。
自分もうっかりこういう愚行をしてしまわないように気を付けたいものです。


「あれくらいやらないと痛みが分からないんだよ、ああいう奴らは」
「どうせ若者たちは反省などしないだろ」
「兄貴、ガンジーは、ナチスヒトラーに戦争を起こさせないように手紙を送ったんだ」
「またガンジーか」
「永遠にガンジーだよ」
伊坂幸太郎「重力ピエロ」)