その行程、ピカソにも似て

ここ連日埼玉の小川町というところまで車で通っているのですが、
往復で4時間は運転せねばならないのでなかなか大変なのですよね。
その行程たるやピカソの本名かってくらいの長さで。
運転しながら「この往復で映画2本は見られるのになあ」などと
時間を他の過し方に換算してしまう思考は
「こんなお金払うなら牛丼20杯は食べられたのになあ」的な
何だかせこい考え方のような気もしてしまうのですが、
それでも電車で行くより安いし早いので仕方ないのですよね。
毎年行く度に途中の道路や風景が変わってたりするのが何なのですが、
自分の中で「このローソンを左」みたいな認識があるのに
そのローソンが突如携帯ショップに変わってたりすると
その度にいちいち脳内マップを更新せねばならないのであり、
「ローソンよ、もう少し頑張れなかったのか」と問いたい気分にもなり、
同時に営業不振に苦悩の日々を過したであろうローソン店長さんの心情も察し、
「店長さんご苦労様でした!」と一声かけたい気分にもなるのですが、
そんな同情を抱き行動に移していけば往復8時間はかかってしまうので
私は涙を飲んでひたすらストイックにハンドルを捌くだけなのです。
ナビにも反映されないのですよね、ローソン店長の苦悩は。


しかし道路が変わったのにそれに対応してないナビというのも困りもので、
道無き道を走っている状態になったりして変な感じになってしまうのですよね。
「左です」「その先を左です」「その先を左です」と
ひたすら戻そう戻そうと指示を出して来るのもうるさいわけで。
どんだけ左行かせようというのかお前は、と説教を小一時間したくもなるのですね。
さらには「300メートル先を右です」と案内されてみるもそこは民家だったりして、
右に突っ込めば一気に天国に行ってしまうわけで、
目的地が変更されてしまうという事態にもなるのですよね。
そうなると「んもう、ナビのばかっ!」と叫んでちゃぶだいをひっくり返し、
突如海へ行きたい衝動にも駆られてしまうのですが、
その海へ行く行程もいずれにせよナビに頼らざるを得ないわけで困るのですよね。
海へ着いたらもうナビへの怒りも忘れてしまうでしょうしね。
「ナビ、さっきは大声出しちゃってごめんね」
「ううん、いいよ。こうして一緒に海を見られるだけで幸せ」
みたいな感じでふたり仲良く地平線の向こうへ沈み行く夕陽を眺め、
「カンパネルラ、ぼくたち一緒に行こうね」
とジョバンニよろしく言ってみたりして。
そうなると何だか車中も銀河鉄道っぽくなりますよね。


それにしても夏の午後の車の中というのは地獄です。
何かの罰ゲームに使えそうな暑さです。
何の罰ゲームかはわかりませんが。
くれぐれも赤ちゃんを置いてパチンコに行かないように気を付けて。
ちなみにピカソの本名についてはこちらをご覧下さい。