強い気持ちもしくは強い愛

今回の震災で被害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます。
3月13日に行なわれる予定だったfwjのライブですが、地震の影響により中止となりました。
楽しみにされていた方々には申し訳なく思います。
我々としてもまた機会を改めて行ないたいと思っております。
11日当日、私はお店にて仕事をしていたのですが徐に揺れ出し、
むむこれは大きいなと思いつつ取りあえず閉じ込められてはいかぬとドアを開け、
落下物のなきところに立っていたのですがぐらぐらと揺れるもので立っていられず、
半ばしゃがみこみつつ揺れの収まるのを待っていたのですが
その間にも招き猫だのお雛様だのが落下し、
壁に掛けてあった額絵は見た事のないほどの激しいダンスの様相で動き、
ショーケースはえ、そこまで動くの?というほどぐわんと動き、
2階では何か大きな物が倒れる音が聞こえ、
これは相当な揺れだなと思っていたらようやく止み、
取りあえず落下した商品を元に戻さねばと拾っていると普通にお客さんが来店し、
事の重大さを知らぬのか普通に見ているので
「今凄い地震でしたよ、大丈夫ですか?」と問うと
「揺れましたが大丈夫でしたよ」とのほほんとしておるので
そんな呑気な体感っぷりなのかと思いつつ普通に接客した次第なんですが、
(お客さんも一緒に落下した商品を拾って片付けを手伝ってくれました)
その後2階を見に行くとガラス棚が倒れ、ガラス戸は粉々で破片が散乱し、
人形は全部落下しておるので愕然とし、両親と義姉に電話するも繋がらず、
ラジオに耳を傾けてみれば大変な事態であるとそこで理解した次第です。
その後自室に戻ればCDが洪水の如く散乱し、
テレビの液晶はひび割れサイケな画面に成り果てていたので
もうテレビは見なくても良いと外してしまいました。
その後は片付けに追われたという感じです。
知り合い、身内の無事はツイッターで確認出来ましたが、
都内で帰宅困難に陥っただの大変だった方もいたようで。
(今回電話もメールも不通だったのでツイッターのありがたみを実感しました)
義姉の実家が福島で連絡が取れずだったのも
ツイッターで家族全員の無事の確認が取れたようです。
が、実家は海べりだったので津波による被害で家屋はすべて海に流されてしまったそうです。
義姉は子供も抱えているので気丈にしていましたが
「帰る家がなくなっちゃったよ」と呟く様子を見て心情は苦しいだろうと伺えました。
子供たちも春休みに帰るのを楽しみにしていたんですが。
私も一度遊びに行った事があるのですが立派なお宅で、
あの家がまるごと流されたのかと思うと今回の地震の恐ろしさに震え上がる思いです。
まあでも家族全員が無事で本当に良かったと思うしかないです。
かといってこちらで我々が不安になっていたり妙な罪悪感みたいなものを感じたり
生活をおろそかにしていても仕方のないことです。
我々に協力出来ることを行ない、元気に生活していくしかないです。
今回テレビがサイケに成り果てたゆえずっとラジオを聞いていたのですが、
時折かかる音楽に本当に心癒されました。
ビートルズってこんなに素晴らしいんだと中学時代に聞いた時以来の感動を味わったりしました。
(正確な情報という面でも今回改めてTBSラジオ最強説を再確認しました)
いつも聞いているウィークエンドシャッフルという番組でも
くだらない話とかも交えつつプロのDJによる元気の出る素晴らしい選曲で
聞いてて音楽の力を再認識した次第です。
小沢健二の「強い気持ち・強い愛」には落涙を禁じ得ませんでした。
こういう事態を目の前にすると自分が作っている音楽だとか人形だとか無意味だよなあと
ふと虚しくなるような気持ちさえ過ったのですが、
そういうもので気持ちが癒されたり生きる希望が湧く人は少なからずいるんじゃないかと思います。
何か楽しんでるようなことを書くと不謹慎みたいなことを言う人がいる空気を感じるのですが、
こういう時こそ笑顔になることが大切なような気がします。
こちらでも余震の可能性もあるし輪番停電などもあり、
日常に戻るには時間もかかるかもしれませんが、
地に足着けて生きていく他ないだろうなどと思ったりしております。
取りあえず募金と節電とですかね。
今日は比較的暖かく、暖房をつけずに済みました。
五十嵐を寒がらせる会の会員も今回ばかりは私を寒がらせるのを遠慮したのでしょうか。
ナイスな判断じゃないかと頭を撫でてあげたいくらいです。
春、カミングスーン。
そこんとこよろしくという気持ちで空を見上げています。