庭はみどり川はブルー

風邪のせいかどうも喉が痛いので
事ある毎に飴を嘗めて喉を潤しているのですが、
飴を溶かすまでの時間て口の中で飴を飼っているかのような、
カンガルーがポケットに子供を入れているかのような、
飴との妙な連帯を伴ったひとときが生まれますが、
飴が消滅に至るまでの時間て意外に長いもんですよね。
口に何かが入ってる状態が一番続く食べ物って
やっぱり飴なんじゃないかと思うのですが。
(固い肉が噛み切れないで一日中噛んでるとかは無しで。)
ちょっとずつ嘗めて長めにコントロールする人もいれば、
途中で噛み砕いて一気に終了しちゃう人もいますが、
僕は噛むのが億劫だから、という消極的な理由で
ずっと嘗めてる派なのですが、
このじわじわと溶かされているものは飴であると同時に
僕らの時間なのだ。とかふと途中で気付かされるのですが、
飴が溶けるスピードで消費される時間に
一体何が出来るのかというと、たいしたことも出来ないのですが、
実は人ってこうしたたいしたことも出来ない時間の連なりで
いろんなたいしたことをやってしまっているもので、
この飴100個分の時間であの曲仕上げられるかな、とか
ふと飴を単位にして物事を考えてしまうのですが、
一日って飴何個分が溶かされる量なのかなとか、
考えると一日が長いのか短いのかわからなくなってしまいますね。
飴が溶ける間に雨模様が晴れに変わったり、
探していたものが突如現れたり、
あの人が振り向いてくれたり、
とかそういう奇跡的なことはたいてい起こらずに、
せいぜい信号が変わるくらいの変化しか現実には訪れないのですが、
飴100個分の間にもしかしたらグラデーションのように
変化は僕たちの周りに訪れるのかもしれません。
あのはーちみーつきんかんのどーあめーのCMの、
飴を嘗めて今日も笑った。
というコピーはちょっと好きです。