カンバセイション・ピース

fwjについてブログで取り上げてくださる方など
結構おられるようなのですが、
本人は意外に見てますし(笑)、感謝しております。
どうもありがとうございます。
http://blog.kansai.com/daikoku
http://d.hatena.ne.jp/kisshee/20051006
こういうのを拝読すると良きリスナーに恵まれて良かったな。
とか思ったりするのですが、
上記の方は両氏とも保坂和志さんのファンとのことで、
私と嗜好が似ている人には伝わりやすいのかなとか
思ったりしたんですけど、私も好きなんですよね保坂作品が。
ぱっと見、地味に思えるミニマルなアンサンブルで
日常の情景や感情の動きなどを淡々と綿密に
編み上げて行くような手法というのは
派手な事件が出来事が起きるだけがドラマチックではない。
という点に於いて氏の作品に影響を受けていて、
天気とか会話とか景色とかそういう日常の隙間にふと沸き上がる
感情とかそういうのが充分にドラマであり文学であって、
そこに焦点を当てて作品を作るという姿勢みたいなものに
私はすごく共感するし、それを読者に甘美を持って再読させてしまう
氏の文体の力に私は感嘆してやまないのですね。
(ストーリー展開の妙を求める人にはこの人の小説の面白さが
全くわからないと思うんですけども)


何となく個人の日常にはAメロ、Bメロ、サビ的な形式の
わかりやすい大々的なドラマはそうそう起きない。
とか私は思っていて、むしろ「金木犀の匂いがする」とか
「彼女の髪型が変わった」みたいな、
そういう個人的な感情にこそ私はドラマや文学を感じるし、
音楽もそうなんですよね。
(かといって私はAメロ、Bメロ、サビ形式のポップソングも
愛してやまないポップス愛好家です)


保坂氏の今のところの新作「カンバセイション・ピース」に於いて
私が一番印象に残っているのが夏の夕方の庭で水を撒くシーンで、
部屋でビートルズの「赤盤」を聴いていて、
その曲の合間合間に近所の生活音が窓越しに聞こえて、
それをぼんやり聞きながら家族とビートルズとの思い出を
何気なく思い出した後に庭に出て木々を眺めながら水を撒いて、
終わって部屋に戻ったらもうビートルズは鳴り止んでいた。
という、ストーリーにすると「庭で水を撒いた」だけの単純な話が、
視覚的に庭の木々の色合いや部屋の光の具合、
聴覚的にはバケツが転がる音や鳥の鳴き声、ビートルズが描かれ、
その行間に描かれる感情とかが読む毎に伝わってきて、
こういう一連の表現の巧みさが文学として見事に成立しており、
私はその文体に惹かれてやまないのですが、
fwjでもそれと似たような感情や風景を描こうとしてたりするのです。
(おこがましいようで恐縮ですが)
何となく「個人のサンプリング」だと私は思っていて、
そういう目線の表現がアコギのインストで成されている、なんてのが
世にあってもいいんじゃないかしら。
なんて思っているのですが如何でしょう。
(聴く人によっては全然違うじゃん。と思われるかもしれませんが、
どう感じるかはリスナーの方の自由ですんで
まああくまで本人の意識ということで。)
しかしそういう傾向に共感してくださる方がいるというのは
大変嬉しいものですよ。