湖のふもとでねこと暮らしている

坂本龍一矢野顕子夫妻が離婚というニュースを
先日新聞で読んだのですが、何か別に今更と言うか、
逆に「まだ離婚してなかったんだー」
くらいに思ったのですが、
一般の新聞に載るくらいのニュースなんですね。
今回、fwjの新譜「林檎にタッチ」で矢野さんの名曲、
「湖のふもとでねこと暮らしている」をカバーしているのですが、
これってまさにふたりが別居する直前の頃(1991年)の曲で、
これの歌詞に歌われているのは教授のことなんじゃないかと
推測するのが容易いのですが、
(ファンの間ではそう解釈されてるようですが)
これはRCサクセションの「山のふもとで犬と暮らしている」
アンサーソングなのですね。


湖のふもと(この場合「湖のほとり」が正しい言い回しなんですが)
で暮らす「私」と山のふもとで暮らす「あなた」は
それぞれ遠く離れた暮らしをしていて、
離れながらも「私」は「あなた」を想っていて
「元気ですか I love you」というメッセージを送るという
まあ一種のラブソングなのですが、
遠距離恋愛とも取れるし、遠い友人や家族への想いとも取れるし、
別れて離れた男へ未練を残し想い続ける女の歌とも取れるし、
解釈によって違うと思うのですが、
「離れた人のことを日常でいつも想っている」という
感情が何だか私の心を打ってやまず、
何度も聴いてはつい何度も感動してしまうのですが、
その感動が高じて今回、カバーするに至っちゃいました(笑)。
原曲のアレンジは凄くアッパーなんですが、
今回はコードもテンポも全部違うものに変えて
fwjなりのアレンジでカバーしています。


私も30年近く生きていると
遠くに行ってしまった親しい人などたくさんいるわけで、
また近くにいるのに疎遠になっている人もたくさんいて、
たまにそういう人のことを思い出すのですが、
「ああ、あの人は今頃山のふもとでどんなこと想ってるんだろう」
とか、遠く離れた湖のほとりで想ったりすることって
世間の人もたくさんあると思うのですよね。
みんながそれぞれ猫や犬と暮らしながらひとりだったりして
それぞれの山や湖での暮らしの中で
それぞれの相手を想ったりすることってたくさんあるわけで、
そう思うとこの歌って凄く普遍的な関係性を歌った
ラブソングと捉える事も可能で、
私はつくづく名曲だなあとか思ってしまうのですよ。
今回カバーするにあたって曲を解体してみて、
楽曲の構築度の凄さにも気が付いたのですが、
単純にメロディーの叙情性の高さなど、
「良い曲である」ことが改めてわかって、
やって良かったな、とか思っているのですが
ぜひカバーバージョンも聴いていただきたいと思っています。
RCの「山のふもとで犬と暮らしている」の歌詞の、
清志郎独特の「孤独」と「不安感」の表現の深さについても
ぜひ書きたいのですが、長くなるので
そちらはまた今度書きたいと思います。
しかし下世話に当時のふたりの関係性になぞらえて聴くと
実に哀しい歌なんですね、これは。
「犬」が漢字なのに「ねこ」が平仮名なのは何故なのか、
何故「湖のふもと」という間違った言い回しを採用したのかなど、
結構謎の多い歌なんですけどね。
でもきっと色んな意味でまだ「好きでいる」んでしょうね。
山と湖のそれぞれで。