座礁クジラ

レコーディングが終わってからしばらく
録音ツールをいじってなかったのですが、
今日久しぶりに開いてみたらアルバムに入れなかった
(ていうか間に合わなかった)曲など入ってて、
すっかりこれらの存在を忘れていたのですが、
聴いてみたらそれなりに出来ていて、
ああこれ時間あったら完成させてアルバムに入れてたかもな。
とか思ったのですが、
とりあえずそういうような曲のレコーディングを
断続的にでもやっていこうかなとか思いましたよ。
座礁クジラ」っていう、
初期に何度かライブでも演奏したことのある曲も
実はレコーディングしてたんですが、
間に合わなかったのでそのままにしてあったんですよね。
それで今日久しぶりに「座礁クジラ」という曲を聴いたのですが、
そういや今日、たまたまニュースで
海岸にクジラの死骸が打ち上げられた、
というのをやってて、その映像を偶然見たばかりで、
そういうニュースを見た日にたまたま「座礁クジラ」を聴くとは
何か不思議な感じがしたのですが、
無意識のうちにこの曲を体が呼んだのでしょうか。


海岸にゾウの死骸らしきものが落ちている、との
通報で駆けつけてみたら本当にゾウの成れの果てのようなものが
そこに横たわっていて、
牙のような白い長いものと朽ちた体が不気味で哀しく晒されていて、
でも結局調べたらそれはクジラの死骸であることがわかった。
というニュースだったんですが、
クジラ自体、打ち上げられるのは珍しくもないのですが
始まりがゾウだったものでニュースになってしまったようです。
(フジでやってたんですが。見られた方いらっしゃるでしょうか)
本当に映像を見るとゾウの死骸のように見え、
こんな海辺にゾウが流れて来るなんて。
という壮大なドラマのようなものを想起させるのですが、
単なるクジラだったというわけで、
小さなニュースに落ち着いたわけなのですが、
それでもそんな出来事に慣れていない私たちには
大きなニュースのようにも思えますよね。


本来海で朽ちていくべき生き物が陸に晒されるというのも
何だか哀しい出来事のような感じで、
動物が人間の見えないところで死に至るという、
その本能みたいなものが覆される感じというか、
見られたくなかったんじゃないかな、クジラは。
なんてクジラに同情してしまうのですが。
ああ、俺、ゾウと間違われて朽ちてったんだよ。
最後は人間の、市の職員に撤去されたんだよ。
なんて声が聞こえたかもしれません。
私は生でクジラを見たことがなく、鳴き声も聞いたことがなく、
このままクジラと接点がない人生かもしれませんが、
同じ地球上で暮らしてるのは間違いないわけで、
そう思うと不思議な感じがします。
こうして私が文字をタイプしてる瞬間も
どこかの海ではクジラが優雅に泳いでいるわけで。


そんなことを思いながら「座礁クジラ」を聴き、
ギターにリバーブなどかけてみたら
クジラが起こした波紋が耳を打ったような気がして、
「あっ。」と私はつい声を小さく上げてしまったのです。
ひとりで。
優雅に。