子供は両手を離して自転車に乗る、花が綺麗だが名前は知らない

子供が自転車を両手離しで運転するのを見て思うのは
両手を離すことに何か意味でもあるのだろうかということで、
ハンドルを離して自由になった両手で
編み物をするとか手拍子をするとかでもなく、
基本ただぶらぶらさせているだけなので
あんまり意味はないよなあ、とか改めて思うのですが、
子供というものは意味もなく両手を離して
自転車を走らせたりするものなんですね。
かっこいいから、というような理由が存在するのでしょうが。
私はその様を見ては
「ハンドルは常に握っておけよ。足下掬われるぜ!」
と助言したくなるのですが、
子供達は助言を聞かず両手を離して自転車を走らせるのです。
夏日に。


それにしても次のシングル曲のレコーディングも
しなくてはいけないところなのですが、
年末に出るアルバムに収録しようと思っている
とあるカバー曲のアレンジをここ最近は考えていて、
オリジナルの方を毎日のように繰り返し聴いたり、
ネットで検索してその曲が世間の人にどう聞かれてるか
調べたりして備えてるのですが、
個人的にはここ最近すごく心に響いてる楽曲なので
良い感じにしたいと思っています。


ところで、近所の家の庭先に綺麗な花が飾られているのですが、
なんて花なのか名前がわからないので
「名前がわからないが綺麗」
という感情で楽しんでいるのですが、
同じように曲名はわからないけど
とてもいい曲がどこかでかかっていたりすると
「曲名がわからないがいい曲」
という感じで楽しむわけですが、
そういう場合、私はその曲名とアーティスト名を後に自力で調べて
それを入手する方向にアクションを起こすのですね。
それと同じように花を見て気に入った後、その花の名を調べて
花屋に買いに行くというアクションを起こす人もいるわけで、
感動の先にアクションを起こす対象が人によって違う、
というようなことを考察したのですが、
花を買うという行為も音楽を買うという行為も
同じように感動を手にするべく起こされたアクションで、
そういうきっかけが日常に転がっているのは
幸福なことかもしれないと思ったりします。


そんなわけで(?)「時効警察」が面白いです。
「いーのいーのブライアン・イーノ」というネタですが、
あれ、シティーボーイズの舞台ですでにやってたネタだと
わかりました。三木聡氏演出の。
まあ使い回しでも面白いから良いですけどね。