5月バード、森の入り口

気が付けば5月になってしまいました。いつもならGWということで忙しい時期なのですが、今年は閑として時雨です。聞こえるのは閑古鳥のラウドな鳴き声ばかり。非日常の中の日常をいつもと変わらず生活しているのですが、非日常であることをふとした時に感じ、栞を挟んで日々のページを繰る手を止めたりしています。休むということはかくも力を必要とするのか。

私の家は細い道をかなり奥に歩いた果てにあるので、いつもなら近隣の住人か宅配の人しか来ないのですが、最近は見知らぬ親子連れや夫婦や単身者が迷い込んで来るようになりました。みんな散歩やジョギングなどで近所を徘徊するしか楽しみがないので、いつも歩かない新鮮なルートを辿って来るのです。「あー行き止まりなんだー」とか「この道ここまで伸びてるんだねー」とか「トトロの森みたいじゃん」などと会話が聞こえたりします。家の裏側は深い森のようになっているのですが、他人にはトトロの森のように見えるのか、それは何だか嬉しいと新たな発見をしたりしています。自分も普段歩かない見知らぬ住宅街を歩いたりするのですが、「この家のデザイン素敵だな」とか「庭の花綺麗だな」とか感心したり、自転車の数と洗濯物から「ここは4人家族で子供は小学生だな」とか家族構成をプロファイリングしたりして楽しんでいます。散歩がこんなエンタメになるとは。こちらも新たな発見がありました。

トトロといえば主人公の名前がサツキとメイでどちらも5月なのです。春と夏の狭間のちょうど良い気候で、こんな過ごし易い季節を名前に持つのは気分が良いに違いないと五月晴れの空を見ながら思ったりします。ファーストサマーウイカというタレントの名前の由来は本名の「初夏」を英訳したものに本名を足したものらしいですが(寺門ジモン方式らしいです)、メイ五月みたいなことでしょうか。名前にファーストサマーが入っているだなんて物語性があって素敵だなと思ったりします。
最近は近所の川べりに降り立ち、せせらぎを聞きながら橋の上の木々を眺め酒を飲むという通称「川Bar」を楽しんでいます。橋の下に降りると視点が変わるので、下界に移動したような気分で新鮮なのです。村上春樹の小説に深い井戸に降りて思考する描写がありますが、こんな感覚なのかもしれないと思ったりします。川べりで木々や鳥を観察しながら酒を飲むという小粋なエンタメを得ています。
鳥の鳴き声といえば一定のリズムでピピピ、ピピピと無く子がいて、それが「佐々木、佐々木」と聞こえ始めたら佐々木以外の発音に聞こえなくなり、「今朝も佐々木バードが鳴いているな」と思うようになりました。佐々木はあやの旧姓なのですが、あやへ呼びかけているのだろうかと窓の外を見るのですが姿は見えないのです。あやにしかわからないメッセージを放っているのでしょうか。いつか佐々木バードの姿を確認してみたいものです。
ミル坊ココ坊がわちゃわちゃと動く様を見ながら「佐々木、佐々木」という鳴き声を聞いているとここは日常なのか非日常なのかよくわからなくなります。豊かではあるが不自由。そんなサツキにしてメイを過ごしています。

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