山のふもとで犬と暮らしている

RCサクセションの「山のふもとで犬と暮らしている」
という曲を久々に聞き直して、
ここに歌われる甘美なる孤独の佇まいと
(不安の上に揺られながら立っている)幸福感に、
これは実にフィッシュマンズ的だなあという
印象を改めて抱いたのですが、
これは逆にフィッシュマンズ(というか歌詞を書く佐藤伸治)が
忌野清志郎の世界観に影響されている証であると言えるわけですが
歌唱法だけでなく歌詞の佇まいも似ていますよね改めて。


この歌は文字通り山のふもとという半ば隔離された世界で
犬と一緒に暮らしているという暮らしぶりをまんま歌ったもので、
犬と一緒ですがまあほぼ孤独に近い状態と言えるわけで、
犬という極めて限られた存在と共に世界とつながっている状態が
何か後期の佐藤伸治の歌詞の浮世離れした佇まいに
通ずるような気がするのですよね。
清志郎の歌にもうひとつ「多摩欄坂」という、
似たような暮らしぶりを歌ったものがあって、
これは山ほど隔離されてはいないものの、
「多摩欄坂を登り切る手前の坂の途中の家を借りて住んでる」
という隔離されてるかのような獏とした暮らしが歌われていて、
これも「君」という彼女の存在としか世界とコミットする
手だてがない孤独ぶりが幸福感と共に描かれていて、
(しかし聞いていると不安がはみ出て来るような
哀しみに満ちているのです)
こういう暮らしぶりを詩情豊かに歌う清志郎の世界が
私は大好きなのですが、佐藤伸治も共感していたと思うのですよね。
(ちなみにこの「多摩欄坂」の歌詞に出て来る
「お月さまのぞいてる 君の口に似てる
キスしておくれよ 窓から」という一節は
フィッシュマンズの「いかれたBaby」の歌詞の
「夜のスキマにKiss投げてよ 月夜の晩のBaby」
の元ネタになったんじゃないかと思うのですが)
フィッシュマンズの「幸せ者」という曲の
「置物みたいなひま人あるじが店の中で座ってる
何かを見てるさ 一生懸命」という
世界の中にいながら隔離されたような目線を持つ存在が
そのまま清志郎が歌っていたような
「犬と、犬と一緒に山のふもとで暮らしている自分」に通ずると
私は聞いてて思うのですが、
両者ともただそれが幸福であるとだけうたっているわけではなくて
「この世の不幸はすべての不安
この世の不幸は感情操作とウソ笑いで別に何でもいいのさ」
とその裏にある不安を熟知して歌われている辺りに
深さがあると思うのですね。


清志郎の代表曲である「スローバラード」の一節に
「悪い予感のかけらもないさ」というのがあるのですが
歌人枡野浩一氏が確かどこかで書いてたと思うのですが
「『悪い予感のかけらもないさ』と彼に歌われた瞬間、
聞いている方の心は逆に悪い予感で満たされる」
という評を読んで鋭いなあとか思ったのですが
(手元に資料がないので大意ですが)
この幸福感の裏に潜む不安感がこの歌を
ありきたりなラブソングに終わらせていないわけですが、
「山のふもとで犬と暮らしている」でも
「心配事は何もない お前にだけは」というリフレインが
何度となく繰り返されるのですが、
これは逆に「お前以外の『世界』には心配事があふれている」
とも言えるわけで、半ば言い聞かせるように
「心配事は何もない」と歌われるところで
私はこの幸福な孤独が実に脆いものなのか知らされ
胸を打たれるのですが、こういう世界観てそのまま
フィッシュマンズに受け継がれていると思うのですね。
両者の差異としては清志郎のそれがまだ寓話的というか、
まだ感情のある側面のひとつである状態なのに比べ
フィッシュマンズのはより深刻に
身を削ってそこに凛と立っているかのような感じで、
特に「宇宙日本世田谷」の頃の浮世離れ感は
この人はもう本当に犬と一緒に
山のふもとで暮らしているんじゃないかとか思わせるくらいで、
実際、今天国で彼は山のふもとで犬と暮らしているような
そんな気がするのですよね。


つげ義春の「無能の人」という作品で
「まるでこの広い宇宙で私たち3人だけみたい」
みたいな台詞があって
(手元に資料がないので大意ですが)
こういう感情って実は普遍的なものじゃないかと
私は思ったりしています。


「今日は一日 本を読んで暮らした
とても冷える日だった
朝からドアを閉めたままの
あたたかい部屋の中
おまえはストーブの前にのびていた
アクビしかしなかった


一人ぼっち 一人ぼっち
雑種の一人ぼっち
一人ぼっち 一人ぼっち
シッポをたれたままの 一人ぼっち
一人ぼっち 一人ぼっち


心配事は何もない
おまえにだけは
心配事は何もない
おまえにだけは
心配事は何もない
おまえにだけは
おまえは特別なのさ


今日は一日 本を読んで暮らした
とても冷える日だった


おやすみ もう寝よう
明日は山の中 駆け回るんだ」
RCサクセション「山のふもとで犬と暮らしている」)