その独り言は何処へ

先日、某所の裏寂しい感じの古本屋にふと立ち寄ったところ、
その店内には客は誰もおらず、本の在庫を整理している
店主らしきおじさんだけがひとり居たのですが、
そのおじさん、なぜか本を移動させながら
「ばかやろ!ばかやろ!」などとしきりに口にしていて、
果て、その「ばかやろ」なる罵詈雑言は何処へ発せられているのか、
まさか客である私に向けられているのではあるまいな、
客である私がこの店で商品であるところの書籍を購入し、
そこで生じた利益によってこのおじさんは
衣食住を得る事が出来ているわけで、
私はこのおじさんの生活を成り立たせている
いわば感謝されるべき存在の一人なはずで、
ばかやろ呼ばわりされる事はないだろう常識で言っても。
などと一瞬で考察した通り、その「ばかやろ」は私にではなく、
その場にいない対象へ向けられている様子であり、
つまりは世に言う「独り言」なる行動を
彼は取っていたのだと私は気が付いたのですが、
独り言で「ばかやろ!」とはどうにも穏やかではありません。
嫌な店に入ってしまったな。などと思いつつも
一応棚など物色していたらそのおじさん、
本を動かしながら相変わらず「ばかやろ!ばかやろ!」と、
今度は客がいる手前か小さめなボイスで
やはり独り言を続行させているのです。
客がいるならいっそやめれば良いのに。などと思ったのですが、
どうもそれがおじさんの口癖らしく、
ばかやろ!が自然に出ているようなのです。
大島渚の物真似か何かを練習しているのか、もしくは。
などとも思ったのですが、
そもそも大島渚も「渚」なる美しい名前を所有しているのに
イメージがいつもばかやろ!と怒っているものばかりなのも
どうしたことか、渚の美しさが監督の行動によって
損なわれていやしないか?などと
思考が渚イメージ問題にまで発展してしまったりしたのですが、
このおじさん、どうも大島渚マニアでもなさそうなのです。
(まあ見た目で大島渚マニアか否か判別出来るのかという話ですが)
もしかしたら「back! ya! rock!」という英語なのかもしれない、
それが訛って「ばかやろ!」に聞こえるのかもしれない、
だとしたらこの言葉は彼にとって自身を奮起させる
大切な言葉なのかもしれず、一概に否定も出来ないぞ。
などと思ったりしたのですが、
「ばかやろ!」がある意味「ファイト!」みたいなものに
取って代わる場合もあるのかもしれません。
もしくは「ガッツだぜ!」とか「がんばっていきまっしょい!」とか、
「涙の数だけ強くなれるよ!」とか「愛は勝つ!」みたいな。
だとしたら彼の口癖のような「ばかやろ!」を
私は許すべきなのかもしれないな、と、
母よりも深い愛を彼に向けることに決定を下したのですが、
それを認めた途端、彼は突然気を許したのか、
「ばかやろ!」がどんどんボリュームを増して来てしまい、
本を動かしながら「ばかやろ!ばかやろ!」と、
ついにははっきりと怒鳴り声に近いトーンを出すに至り、
そこまで来ると私も「なぜに客のいる前でばかやろなのだ?」と、
母よりも深い愛が一瞬にして崩壊し、
そもそもオレあんたの母じゃないし。
母性本能持ち合わせてないし。
と突然気が変わった猫のような態度になって、
何も買わずその本屋を出る事にしたのですが、
私が怒り半分に本屋のドアを開け外へ出ようとすると
何とそのおじさん、「ありがとうございました〜」と
さっきまでの怒鳴り声が嘘のように爽やかな、
5月を吹き抜けるそよかぜのような明るい営業声で
気持良い声を掛けて来たので、私は
あれ何今の?何でその爽やかテンションがさっきまで出なかったの?
と、気が抜けてしまったのですが、
さっきまでの怒りテンションは一体何だったのでしょうか。
本当に無意識のうちに出てしまう口癖だったのでしょうか。
あれだけ自然に爽やかな「ありがとうございました」が出たとなると
やはりさっきの「ばかやろ!」は
本当は馬鹿野郎の意味ではなかったんだ、
「ファイト!」とか「負けないで!」とか「にんげんだもの!」
みたいな意味だったのかもしれない、と私は悟って
「ああかっこう。あのときはすまなかったなあ。」
宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」の台詞を引用しながら
すまないような気持ちでその本屋を後にしたのです。
ぜひ、耳障りの良くない口癖には気を付けたいものです。


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さりげなく売れると良いな。と、
冬の澄み切った空模様に目を細めながら
何度も繰り返し思っています。
「さ、寒い!」と思わず口にして
息を手に吹きかけながら駆け出して行くような
12月の日々の佇まいのさりげなさのようにさりげなく。