83秒のサイレントに想う

先日、朝起きてふと携帯電話を見たところ
夜中の3時過ぎに非通知で誰かからの着信があり、
しかも留守電がフルで入っていたので
これは一体何事かと再生して聞いてみると
無言のメッセージが83秒間入っていて、
何だ知らない人のいたずらかー。などと思ったのですが、
いたずらにしても83秒とはなかなかに長い時間で、
これだけ無言でいるのは何だか逆に凄いなと思って
つい5回連続でその無言の留守電を聞いてしまったのですが、
よくよく考えると「無言を聞く」というのは実に不思議な行為ですよね。
ジョン・ケージの「4分33秒」という曲は
ピアノの蓋を開けて4分33秒の間何もしないまま
そこに立ち上がるサウンドを聴くという、
ある種の「無音を聴く」という行為で、
そこにあるのは「沈黙」というサウンドなわけですが、
今回のこの声がない留守電に耳をすませるというのも
「無言を聴く」という行為に他ならないわけで、
この留守電はジョン・ケージのカバーなんじゃないか、
となどと思いを巡らせたのですが、
携帯の蓋を開け、無作為に番号を回し、たまたま出た留守電に
4分33秒何もしないで沈黙を残すというのは
なかなか面白い音楽的な実験じゃないかと思ったりしました。
(まあかけられた方は迷惑極まりないですが。)
まあ今回のは4分33秒ならぬ83秒だったわけですが、
よくよく聞くと後ろの方で小さくテレビの音らしきものも聞こえ、
まるっきりのサイレントでもないのですね。
その鳴り方から言ってテレビは一人暮らし用のごくごく小さなもので、
部屋も6畳くらい、吐息や声の漏れが近距離で聞こえないので
声の主は携帯を耳から離して机か何かに置いているものと思われ、
しかし衣擦れや気配からして声の主は携帯のすぐそばにいて、
じっと座ったまま何もしていないのか、
もしくは携帯をぼんやり眺めているのか、空を見つめているのか、
祈りでも捧げているのか、詩を諳んじているのか、
いずれにせよ何かしらの思想はそこにあると思われるのですが、
いかんせん音が全くないので判読が難しいのですね。
私はこの沈黙の83秒に必死に耳をすませて
声なき声の主の何かしらのメッセージを解読せんと試みたのですが、
結局相手の心までは聞こえず、
その沈黙の留守電は突然電気のスイッチが切れたかのように、
世界が白く消滅したかのように、糸が断ち切れるように終焉を迎え、
私は夜中の3時過ぎにどこかの誰かから発せられた83秒の
沈黙というサウンドを5回聴くという、
意味のあるようなないような体験をしてしまったのでした。


結局、無言電話が妙な引っかかりを残すのはその意図の見えなさで、
逆に喘ぎ声や怒号、勧誘や感情吐露など、
わかりやすい音が残された方が健康的であるわけですね。
私のように「これはジョン・ケージ的な試みではなかろうか」
と深読みする人の方が少ないのでしょう。
しかし私が興味あるのは見知らぬ相手に電話をかけ、
長く沈黙を残すというその83秒の間の心理で、
何かしらの思想は確かに存在すると思うのですよね。
相手はどういう人間であるのかという他者への興味など。
(全国の携帯所有者の数から偶然私の携帯を選ぶという
確率のことを考えるとえらいことだと思うんですけど。)
その思想を音楽に変換する術があれば
無言は逆にサウンドとして世界に解放されるわけで、
無言電話をするような人にはぜひそういう術を会得してほしいものだな、
などと思った私です。
音楽ってそういうもののためにあるんじゃないかしら。


ところで携帯電話と言えば加瀬亮市川実日子両氏のCMですが、
http://youtube.com/watch?v=ZyWJzWttV3Q
私はこれを見て
「こんな感じに言われちゃったら答えは勿論Yesだろうなー。」
などとなぜか女子目線で胸キュンしながら思ったりしたのですが、
男子としては加瀬くんの方を見習わなければならないのだろうなと思い、
手帳にメモ、メモ、などと思ったのですが、
いかんせんメモしたところでそのメモを活かす機会があるのか、
という問題に自ずとぶつかるわけで、
私は無言の83秒のメッセージを残した携帯を片手に
ひとり途方に暮れてしまったのですが、
取りあえず「求婚するのに83秒の沈黙はいらない。」
という真理だけは今回、得ることが出来ました。
それだけでも良しとしたいところです。