猫に塗れて

昨日はマオスタでfwjリハだったのですが、
24日と27日のライブでやる曲をざっと確認したりしました。
構成がきっちり決まってない曲は
「だいたい良いかなと思った辺りで適当に。」とか
そういうノリで演奏しているのですが、
そういう自由度のある曲の方が演奏してて楽しいものですね。
毎回変えてみたりして。


昨日は石本家の猫のコマオもリハに率先して参加していて、
曲に合わせて我々の足下でごろごろ転がったり、
爪で吉川くんの足をガリガリしたりしていたのですが、
(その度に彼は「痛っ!」とピアニカを吹きながら言っていました。)
そうかと思えばグロッケンを入れている箱の上が心地良いのか、
狭い箱の上にジャストサイズでちょこんと乗っかって
どこか遠くを眺めていたりして可愛さを存分に発揮していたのですが、
その目線はどこに向けられているのか彼岸か涅槃か、
人間の見えないもうひとつの猫の世界か、
悟りの境地に達したかのような目でそこに鎮座したりしていたのですが、
猫はかような状態の時、どのような思想を持っているのか
私はふと伺い知りたい衝動にも駆られたりしたのですが、
猫は「こんなことを思っているのです。」とか自ら語らない動物なので
残念ながら想像するしか手だてがなく、
私はギターを演奏しながら「これはひょっとして無の境地か。」
などと思ったりしたのですが、
コマオは黙して語らずだったので真相の程はわかりません。
かと思えば「あれ、これ面白いじゃん。」とばかりに
私の上下に動くスリッパに自らの耳をあて、
「にゃんか知らないけど気持ち良いっす。」と
目を細めながらぐりぐりしたり、
私の椅子の回りをぐるぐると意味もなく歩いたり、
リハの間彼女はあれこれと大忙しだったのですが、
その様は何と言うのか可愛いと単純に言うには言葉が足らず、
キュートやプリティを超越する次元と表現するべきなのか、
しょこたん風にギザカワユス!とか形容するに相応しく、
私は「ギザカワユスなあー」とかしょこたん風に言ってみたのですが
彼女は「にゃんだ、その変な日本語は?」とばかりに
私を怪訝そうな目で見つめ、
「にゃー。」と一言いい声で鳴き返したのでした。
私は「そうか、そうなのか。」と答えました。
彼女がそう言うならきっとそうなのでしょう。
ところでギザカワユスの「ギザ」って何だろうとふと疑問に思い、
吉川くんに「ギザってどういう意味?」と聞くと
「銀座の略ですよ。」と自信満々に答えたので
そうか銀座か。それは大層なものだな。と思ったのですが、
真相の程はわかりません。
石本さんは帰り際、「プリキュアは5人になったんだよ。
今までずっと2人のシリーズだったんだけど。」と、
プリキュアについての有益な情報を色々教えてくれ、
彼のアニメ好きな一面が垣間見れてしまったのですが、
そのうち48人とかになったら面白いですね、プリキュア
ところでこの日はタワーレコードインストア時のfwjの巨大パネルを
フィジキさんに預かってもらっていたのを持って来てもらったので
電車で持って帰ったのですが、
自分の写真がでかでかと載ってるパネルは持ち帰るのが恥ずかしく、
「あー、あいつ自分で運搬してるよー」とか思われたらどうしよう。
などと思ったりしたのですが他人はそれほど自分のことを見ていない。
という真理に気付き、私は堂々と自分の写真を持ち帰りました。
まあ見えないようにフィジキさんが梱包してくれていたので
別に大丈夫だったんですが。
アーティストさんはこのような自分のポスターやパネルなどを
自分の部屋に飾ったりするものなのでしょうか。
ある種の気恥ずかしさがあるものですが。
そういえば私は小学生の頃、何も考えず部屋に
なめ猫」のポスターを貼っていましたが、
思えばあのなめ猫は写真に撮られてる時どんな心境だったのだろう、
などとふと思ったりしたのですが、
猫は自ら「こんなことを思っているのです。」と語らない動物なので
真相の程はわかりません。
それこそ「なめんなよ。」と思っていたのかもしれませんね。
銀座カワユス。