音楽をお裾分けするという行為(好意)

私の使用しているiPodはそろそろ容量いっぱいな状態なんですが、
これがフルになったら新しいのを用意せねばならないのか、
中身を入れ替えするのが良いのか、
まあいずれにせよそれだけのデータを持ち歩いていると
旅先でも「あ、あれ聞きたいな」という時に助かるものですね。
しかしかつてMDやCDウォークマンを携帯していた時代に比べると
何とも遠くに来てしまったものだな、と
ふと過去が懐かしくなったりもしますよ。
聞きたいディスクを一緒に持ち歩くという行為がないわけで、
便利といえば非常に便利なんですけどね。
CDを何枚も持っていくのは荷物になるので
だいたい聞きたい曲だけMDに編集して旅先に持って行き、
旅先ではそればっかり聞くとか昔はしていたのですが、
そもそもMDに編集なんて行為が最近は全くなくなりましたもの。
取りあえず取り込んじゃえって感じで。
音楽を持ち歩くスタイルも変わったものです。


昔は友達に自分セレクトのカセットをダビングしてあげたりとか、
編集による音楽のお裾分けって普通でしたけど、
そうなってくるとそういう機会も減るものですね。
カセットからMDに移行して、
今ではCD-Rに焼くとかの行為になるんでしょうけど、
CDに焼くというのはどうも味気がなくて
音楽をお裾分けしてる実感がないですよね。
データを移してるだけなわけで。
ダビング行為の醍醐味って独特なものだったと回想してしまいますよ。
ダビングする時って曲の再生時間がそのままかかるので
すごく時間がかかって手作り感があるし、
曲を聞きながら「ああ、この曲の次にこれを入れたら良いな」とか
DJ感覚で楽しい時間だし、あげる相手のことも考えたりしますしね。
ああいう音楽の楽しみ方って今は忘れてしまっているようです。
カセットにダビングする際は曲間にもこだわったりして、
まさに自分でマスタリングまでしていた状態なわけで、
よくそんな暇があったなあと思ってしまうのですが、
「音楽をダビングしていた時間」は
一体どこに行ってしまったんでしょうか。
現在、CDをパソコンに取り込むほんの数分さえ
長く感じてしまうとはどういうことなんでしょうか。


ところで「間宮兄弟」という映画で、弟役の塚地武雅氏が
好意を持った女性に自分の好きな音楽をMDに編集して
それをプレゼントするというシーンがあって、
結果的に女性には「迷惑なので」と断られるのですが、
「音楽には罪がないですからMDだけでも聞いて下さい」と差し出すと
女性がiPodを見せて断るというくだりがあり、
その断絶ぶりが表現として秀逸だなあと思いつつも
見ていて何だか切ないなと思ったのですが、
その塚地氏は劇中ではやたらとMDを聞いており、
相手に聞かせては「編集しましょうか?」と聞くような人物で、
ダビングして音楽をお裾分けするという優しさのアナクロ感が
彼のキャラ付けとして秀逸だなと思ったのですが、
私が気になったのは彼の編集したMDの曲目で(笑)、
誰の何て曲を入れたんだろう、と想像したくなってしまうのですね。
劇中、彼の貸したMDをイヤホン越しに聞いて
常磐貴子が静かに泣くというシーンがあり、
私はその音楽が鳴らない音楽シーンに妙に感動したのですが、
(その時聞かせた曲はドリス・デイの「ケ・セラ・セラ」で、
その選曲がまたいい人だなあこの人、という感じで良いのです)
MDによる音楽の受け渡しがまんま好意の受け渡しにつながっていて、
とても良い音楽の扱い方だなと思ったものです。


自分の好きな音楽を編集して好意として相手にプレゼントするという、
そんな音楽の受け渡しが今の若い子たちにも行われているのだろうか、
CDに焼くんじゃなくて時間をかけて編集するという行為で。
と、ふと想いを馳せてしまう私なのですが、
果たしてどうなんでしょうか。
実はCDに焼くのは味気ないと思っているのは大人だけで、
若い子はCDに焼く行為にカセット時代と同じく、
音楽をお裾分けするロマンを感じているのかもしれません。
カセットをダビング編集しているうちに朝を迎えてしまったなどの
青春ぽい時間の浪費は別な次元で賄われているのかもしれませんね。
まあそういうのを賄うという言葉で表現して良いのかはわかりませんが。