雀の涙

先日、道端に何か茶色いふんわりとした質感の物体が落ちており、
何事かと見やればそれは何と一匹のスズメで、
私が近寄っても動く気配はなく、不安そうな面持ちで路上に居て、
怪我か何かで飛べずにそこに佇んでいると思われたのですが、
私に出来ることといえば取りあえず安全な横の植木に
彼(もしくは彼女)を移動してあげることくらいで、
そっと手に取って動かしてあげたのですがあとは何も出来ぬと思い、
断腸の想いで彼(もしくは彼女)を残しそこを立ち去ったのですが、
彼(もしくは彼女)がその後どうなったのか、
猫やカラスや他の鳥や人間などの生き物や雨や風などの天候によって
命を奪われ土に還ることになったのかわかりませんが
そういうものに直面すると自分は何も出来ぬなと思うわけです。


というのも自分が小学生の頃、
同じように怪我をしたスズメが家に迷い込んで来たことがあり、
何とか看病出来ぬものかと保護し、餌(米粒)を食べさせてあげたり
水をやったりなど小鳥を飼うかのような感覚で世話したことがあり、
このまま治ったら飼っちゃうか、などと気楽に考えてたら
その数日後にスズメは突然その命を絶ち、
餌をあげてたのに何故かと近所の動物病院に相談に赴いたところ
死因は餓死であるとのことで、
野生のものは人間の手であげた食物は食べないことがわかったのですが、
(その割にちゃんと餌を口に入れていた印象なんですけどね)
それ以来外でスズメを見ても、嗚呼、人間は拒絶されてるんだなと
若干の寂しさのようなものを感じるようになったのですが、
生き延びる為にはそういうスタンスじゃないといけないわけで
近付くとぱっと逃げて行くスズメたちを見る度に私は
「ふむそうか、頑張れよ」と声をかけたくなってしまうのです。
そもそも鳥ってこれだけ身近にいながら触れない存在であるわけで、
改めて関係性を思うと不思議な感じがしますね。
スズメなんて特に人家近くに生息する鳥なのに。
それぞれが近くにいながらそれぞれで暮らしているという感じで。


「みんなが夢中になって暮らしているさ」という
フィッシュマンズの歌をふと思い出したりします。