夏に見送る

近しい人が亡くなるとその人のことを何度となく思い出し、この夏の熱気や青い空、ぬるい風、道に咲く花、蝉の鳴き声、電車の走り去る音などもう目にしたり耳にしたり出来ないのかと儚く思ってしまうものです。
先日はHarpy、OOIOOのきょうこさんが亡くなられたとのことでお通夜に行って来ました。
あまり降りたことのない駅に降り、馴染みのない街並みを喪服を着てとぼとぼ歩いていると熱気がじんわり身体に染み込んで来るようで、今は夏なんだなと実感させられるようであり。
目的の会場に着くとどちらの家のお通夜か聞かれ、そうか同時に他の亡くなった方の弔いもしているのかと思いながらエレベーターに乗り受付けまで足を運び。お香典ってどうやって渡すんだっけ、ご愁傷様とか言うんだっけとか思いながらも見知らぬ故人の知り合いの方々や業務にあたっている方々を前に緊張してしまい、「あの…」みたいな感じで挙動不審に香典を渡してしまい、葬祭に慣れることのない自分を反省しながら列に並び。
そしていざお焼香する段になり、親族席の奥に座るイトケンさんと目が合うと彼は演歌歌手の最後の挨拶の如く「ありがとう」という声にならない声を口の動きで示してくれて。最愛のパートナーを亡くした彼の心情を思うと何と声を掛けて良いものかという感じでしたが、かなり距離があったので直接話すことはなく、私は一礼をしてお焼香をし、きょうこさんの遺影を前に手を合わせました。次から次に人が並んでいるので流れ作業みたいな感じになり、この葬祭に於ける業務ぽい感じは残された者の心に哀しみを侵入させないためのものなのかと思いつつ、焼香を終えてすぐに会場を後にしました。
外に出るとまだ夏の熱気が残っており。お別れはあっけないものだなと思いつつ駅に向かって歩いていると後ろできょうこさんのお知り合いとおぼしき方が「きょうこさんの昔やってたバンド、ポジパンなんだよね」みたいな話をしており。私はきょうこさんのバンド時代を直接知らず、Harpyのライブも実は見たことがないので見ておきたかったなあと思うのと同時に、今後見る機会もなくなったんだなあと思うと急にズシンと来るものがあり。音楽家が亡くなるともうその人のライブを見られないという当たり前の事実に気付かされた次第です。
きょうこさんに初めて会ったのは確か10年くらい前の高円寺円盤で、やけに背の高いお姉さんがいるなあと印象に残っており、その後イトケンさん家に行ったらその背の高いお姉さんが普通に居間にいて驚いたのですが、そこで初めて彼女がパートナーだと知ったのでした。その後彼女とはちょくちょくライブ会場でお話するようになり。
去年だったか移動で井の頭線に乗った時、ふと目の前のシートを見ると偶然きょうこさんが座っていたことがあり。「あれ、きょうこさん?」と思わず声を掛けるとうたた寝をしていた彼女は目を開き「え、あれえ、どうしたの?」と目をパチパチさせて驚き。そこから数分「どこ行ってたんですか」みたいな話をして。きょうこさんは仕事帰りだったらしく、「イトケンがご飯作って待ってるんだ」なんて話してくれ。イトケンさんがご飯作って待ってる家なら俺も帰りたいわ〜などと妙なことを思いつつ、幸せそうな家庭だなあとしみじみしたものです。暑くもなく寒くもない季節の西日の差す夕方の井の頭線できょうこさんと話した柔らかな風景が今でも鮮明に思い出されます。
イトケンさんが通い猫の写真をインスタに上げるとすぐその後にきょうこさんも似たようなアングルの猫の写真を上げていて、2人は同じ風景を見ているんだなあと思ったのがつい最近のことです。きょうこさんが一時退院した後のことでしょうか。インスタには闘病のことも綴られておりましたが、元気になったら2人で鎌倉に遊びに来て下さいという話をイトケンさんにしていた折の訃報でした。とても残念でなりません。きょうこさんにミルクの姿を見せてあげたかったです。しかし私が猫の写真をインスタに上げる度にきょうこさんはいいねを押してくれていたので、明日からも続けていいねを押してくれるような気がしてなりません。
昨日は山田氏のライブにイトケンさんも参加されたそうですが、今後はポチと同時にきょうこさんにも届くように演奏することになるのでしょうか。ポチときょうこさんの2人が天国で仲良く遊んでいる姿が思い浮かびます。きっと2人とも楽し気な表情をしていることでしょう。
きょうこさん、安らかにお休み下さい。