宮崎駿、ヒグラシを待ちながら

ヘッドフォンしてて何かヒスノイズが聞こえるなと思ったら外の蝉時雨でした。
マイク越しにはシャーというノイズに聞こえるのですよね。
もう一日中鳴いてますね彼らは。
あんな休み無しに鳴き続けてたらそりゃ1週間で死ぬよなという感じです。
ヒグラシが鳴かないかなと思っているのですが、なかなか彼らの声が聞こえません。
彼らはどこで鳴いてるのでしょうか。


先日NHKで放映されていた宮崎駿氏のドキュメントを視聴したのですが、
「ポニョ」制作の過程に見られる監督の表現者としての厳しい姿勢と
人間身溢れる素顔と苦悩と、様々な表情が生々しく捉えられていて面白かったですね。
物を創る人間として刺激を受けたと言うか、
自分のような若輩者が何を偉そうに大変そうにしておるのかという感じで、
身の引き締まるような気にもなりました。
天才があれだけ身を削って作品作りに臨んでいるのだと改めて直視すると圧倒されますね。
「ポニョ」は未見なんですが、ネット上で様々な批評や感想を見ていると
それだけで半分見たような気にもなっていたんですが、
劇場でぜひ体感せねばなるまいと思った次第です。
つーか絵コンテ最後まで出来ていない内からアニメの制作に入っちゃうんですね。
オチが決まってない内から漫才始めちゃうようなもんですよ。
最後にどうやって収拾つかせるとか作りながら考えるって
自分を追い込むと思いがけない物が出て来るみたいな、
かなりギリギリの作り方だと思うんですけどね。
宮崎作品の脚本上に見られる矛盾点とかつじつまの合わない感じとか
唐沢俊一氏とか他の方が指摘してるのを見たことありますけど、
そもそもそういう作り方してるせいもあるんでしょうね。
でも映画を見てるとそんなことは全然気になりませんけどね。
映像が素晴らし過ぎるので。
締め切りに追われてようやくコンテを書き上げるまでの監督の表情とか、
見ててその苦しさが充分すぎる程伝わりました。
久石譲氏のイメージソングを聞きながら母親のことを思い出して
「いい曲だなあ」と涙ぐむところとか、
先輩のアニメーターが亡くなった後綺麗な夕焼けを見て
「死んじゃったら夕焼けも見られないね」と呟くくだりとか、
過去の宮崎作品の紹介のところとか要所要所で泣きそうになりながら見ましたけどね。
彼の「人を楽しませないと自分の存在理由がない気がする」という
屈折した創作の原動力みたいなのが意外な気もしつつも腑に落ちたのですが、
物を創る人なんてみんなそんなものだと思うのですよね。
ちょうど彼の「出発点1979〜1996」ていう
分厚い著書もブックオフで(笑)入手したところなので読もうと思います。


しかし蝉時雨も止んでくれないとレコーディング作業に支障が出るのですよね。
ゴルフとかで見かける「お静かに」みたいな看板を用意すべきですかね。
「でもヒグラシはその限りではない」というのを付け加えて。