村上春樹、カセット、mp3

ここ最近ふと思うところあって村上春樹作品を再読してるのですが、
今読むと当時とは違う読み方が出来てなかなか面白いですね。
私は大学時代ゼミ形式の授業で村上春樹を選択していたので、
当時彼の全作品を読んでしかも授業でかなり研究したんですけどね。
今となっては細かい内容ほとんど忘れてるのですよね。
ここまで忘れるか自分って感じで。
読んでくうちに「うわ、そうそうこういう内容だったわ!」とストーリーが蘇り、
新鮮な読後感を味わえるので何だかお得ですけどね。
彼の小説では主人公が調べものするのによく図書館へ行くのですが、
(村上作品に於いての図書館というのは重要なメタファーとなっているのですよね)
今となってはネット検索で調べりゃ一発だよなあとか、
電話で連絡取れないというのも携帯で一発だよなあとか、
(「ねじまき鳥」の井戸はそれこそ圏外なんでしょうね)
このレベルのやりとりは今ならメールで済ませちゃうよなあとか、
カセットテープで音楽聞いてる描写も今ではiPodだよなあとか、
時代の流れを感じながらつい読んでしまうのですけどね。
海辺のカフカ」ではMDでレディオヘッド聞くシーンが出て来るんですけどね。
MDも使ってる人減りましたよね。
まあそういうツールの時代性は逆に再読の楽しみとなりますけどね。
内容的にも年を経て読むと人物の感情とか当時わからなかった部分とかわかりますしね。
この先10年後読んでも面白いであろう強度を改めて感じました。
この独特の文体の美学は色褪せないなあという感じで。
世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」ってすげえ傑作だなあと
再読して再認識したんですが、これ読んだの実に15年振りとかですよ。
そりゃツールも変わるよって話ですよ。


ちなみにこの作品でのディランの声についての描写が詩的で、
(「まるで小さな子が窓に立って雨ふりをじっと見つめているような声」というのです)
ボブ・ディランが10倍素敵に聞こえる一文なんですが、
「寂しき四番街」と「「メンフィス・ブルーズ・アゲイン」と
「激しい雨」が一緒に入ってるアルバムなんて果たしてあったかなと
読んでてついディランのディスコグラフィーを参照したくなったのですが、
村上春樹脳内セレクトのベスト盤なのかもしれません。
カセットですしねこれ。
ブート盤という言葉はこの頃まだなかったんでしょうね。


ところで今の村上春樹氏がiPodに入れられた音楽データをどう表現するのか
読んでみたい気もします。
「圧縮されシャッフルされた自己の音楽遍歴。かっこう」
とでも言うのでしょうか。