ある光、ナイフ

夜、時間があるのでyoutubeで様々なライブ映像を見て過ごしているのですが、
小沢健二氏のテレビ出演時の「ある光」という曲の映像が新鮮でした。
原曲は7、8分あるんですが、語りも含めてテレビ用にエディットしてあるのですよね。
「神様はいると思った」という部分がカットされてるのはテレビ側からの要請なのかと穿ってみたり。
しかしもうこれ10年以上前の映像なんですよね。
この曲を聴く度に彼の音楽に対する想いの純度の高さを感じて心打たれるのですが、
歌詞中に何度も出て来る「この線路を降りたら」というフレーズが昔から気になっていたんですよね。
「線路を降りる」というのは恐らくあるものから離脱する、撤退する、やめるという意味の言葉で、
深読みすれば人生から降りるということでもあり、何だかネガティブな印象を受けるのです。
しかしそれでも「世界に棲む音楽や心の中にある光を信じている」という願いのような歌で、
「LIFE」の頃の万年躁状態のようなアッパーさも狂ってて好きですけど、
「線路を降りる」ことを考えてしまう弱さが含まれてるこの歌の強さに私は惹かれてならないのです。
(意外に列車内という設定の歌で文字通り線路を降りるという意味かもしれませんけどね・笑)
この頃シーンの最前線にいた彼はこの後実際に第一線を退くわけですが、
線路から降りることで彼が望んでいた音楽の高みへ行けたのかどうかはわかりません。
虹を架けるような誰かに会えたのかどうかもわかりません。
(私はこれを長年「虹を駆けるような」だと思っていました)
ただ私は言葉をなくしたインストである今のところの彼の新作も好きでたまに聞いています。
「Sleepers Awake/眠れる人、目覚めよ」という古いタンゴのような曲ばかり聞いてしまいます。
祈りのような哀しい曲です。
彼の最後の8センチシングルとなった「春にして君を想う」の隠しトラックに
なぜか「ある光」も再び入っていて、実質彼の最後のシングルがこの曲になるというわけなんですが、
彼の苦悩が滲み出ているこの曲を最後にシーンから消えたというのは意味深です。
歌詞中出て来る「let`s get on board!」というのはアズテック・カメラの「back on board」からかなとか、
テレビ版ではカットされてますが「JFKを追い」というのは「ニューフロンティア精神」のことかなとか、
色々な解釈で聞くことが出来ますが(単にケネディ空港でこの曲を思いついたという話らしいですけどね)、
この曲をライブで聞く機会はもうないのかと思うと寂しいですね。
今回「ある光」についてオザケンが書いている文章をネットで見つけたんですが、これがまた秀逸なのですよね。
オリーブの連載らしいですが、3回続けて読みました。
http://pmakino.jp/misc/olive_ozaken.html
我々は簡単に物事をナイフのように二分化してしまう。でも光は未分化である。
彼の中でまだ光は熱を持っているのでしょうか。
そして私の中にも光は存在するのでしょうか。