私、空気人形を見て

是枝裕和監督の「空気人形」を鑑賞して来ました。
以下多少ネタばれありで感想書きますのでご注意下さい。


まずは人形役のぺ・ドゥナの演技と佇まいが素晴らしかったですね。
無垢で可愛らしく美しいけど痛々しくて切ない。
思わずはっとするような表情がいくつもあったし、裸体も凄く綺麗でした。
裸体の撮り方も無機質な人形ぽい質感と
艶かしい女体の質感ときちんと撮り方が変えてあって良かったですね。
人形が心を持つことによって見えて来る光景や複雑な感情を
そもそもこのラブドールの持ち主である板尾創路
その他街に住む何かしら欠落した登場人物たちとの交流や対比と共に描いていて、
人間同士が心を通わせるということの難しさと面倒臭さ、
でも結局大事なのそこじゃないのという人間愛みたいなのがテーマになってるわけですが、
通り一遍のファンタジーで終わってないところが良かったですね。


板尾演じるファミレス店員とか岩松了演じるビデオ屋の店長とかの
中年男性の悲哀とかざくざくした狂気とかがディティール細かく描かれてるし、
(板尾が星座の名前教えるくだりとか哀愁あって印象的でしたね)
自分は誰かの代用品ではないのかという不安や、
自分は満たされていないという想いを噴出させている女性や女の子の
苛立ちみたいな描き方も痛々しくて生々しいし。
そういう人物たちは中身がからっぽで「つまり人形と一緒」という
安易な図式が途中まで浮かぶんですが、
「結局人間と人形とは違う」という結論が最後用意されていて、
そこがまた残酷で切ないのですよね。
ARATAぺ・ドゥナが愛を交換するくだりは実に官能的で生々しくて
この映画の白眉ではないかと思ったんですが、
ちょっと衝撃的な展開含めここは本当に切なくて心打たれました。
空気が抜けた後息を吹き込まれて生き返るという重要なモチーフが中盤出て来ますが、
誰かしらに息を吹き込んでもらわないと、
つまり愛情や心を通わせないと満たされて生き返らないという
かなり直球なメッセージもこの切ない最後によって安易に感じられないというか、
より切実に伝わってる気がしました。
ラストシーンはちょっと哀しいですがある種希望のあるファンタジーに着地していて
この終わり方は前向きで良かったように思います。
星野真里が最後に放つ台詞がそのままオダギリジョーの台詞の
「その人形が愛されたかどうか顔を見ればわかる」の回答であるとすれば。
そのオダギリジョーだけある種ファンタジー側の人間として描かれていますが、
こういうキャラを配置してあるのは良かったように思います。
彼が心を持ったぺ・ドゥナに問うた、
「君の見た世界は綺麗なものもあった?」という問いの答は
彼女の輝かんばかりの笑顔の数々を反芻してみれば自明でしょう。
ぺ・ドゥナが船に乗って楽しそうに手を振るくだりとか
ちょっと泣きそうになってしまいました)
私も人形を作る身として(用法はかなり異なりますけどね・笑)
オダギリジョーの台詞や佇まいは普通に共感を覚える類いのものでしたけどね。
帰って来たら「おかえり」と言うだろうし。
「いってらっしゃい」と送り出すでしょう。
何しろぺ・ドゥナのキャスティングありきでしょうねこれは。
デートシーンも切なくて良かったですね。
ラムネのビー玉の音も印象的で良かったように思いました。
こういう音の使い方巧いなあと思いましたね。
まあ興味ある方はぜひ劇場へ。
ということで。