ドーナツの穴を覗いて

こうしてブログ書くようになって数年経ちますが、
さすがに過去に書いたこと全部覚えているわけでもなく、
むしろ忘れていることの方が多いのですよね。
たまに「過去の日記全部読み返しました!」みたいなことを言われると
どんなこと書いてたんだっけと少々あせったりして。
自分の昔の写真を見られるみたいな感じで恥ずかしさもあり。
自分なりの文体でずっと書いてるのでそんな大きな変化はないと思うんですが、
一応その時代の空気を吸って書いているので如実に出るのですよね当時の空気感が。
その時間のずれが恥ずかしさにつながるのではないかと思ったりして。
まあそれもあって自分ではほとんど読み返さないんですけどね。
でもたまに「これ過去に書いたっけな」と確認のために検索して読み返すことがあるんですが、
結構同じようなネタ書いてることってあるんですよね。
「夜の8時にドーナツ食べてる人のドーナツは間食なのか夕食なのかデザートなのか問題」というネタ、
これ、自分3回も書いてましたね。
余程印象に残ってたんでしょう。
http://d.hatena.ne.jp/fishingwithjohn/20070908
http://d.hatena.ne.jp/fishingwithjohn/20051216
http://d.hatena.ne.jp/fishingwithjohn/20050804

この間下北行った時にミスドに行列が出来ているのを見て
みんな並んでまでドーナツ食べたいんだなあとしみじみ思ったのですよね。
(まあその時は100円セールだったから混んでたんですけどね)
私がミスドに入る時は誰かとお茶をする時に周囲にこれといって適当な場所がないなどの理由から
落とし所というか妥協点として「まあミスドでいっか」的な割と消極的な姿勢で臨むことがほとんどで、
「あー無性にドーナツ食いたい!」と積極的にミスドを訪れることはなく、
ドーナツともまあ「あれば多少いただくけど」程度のお付き合いなのですよね。
なのに世間の人は積極的に並ぶのだなと。
熱く欲するのだなと。
夜の8時に食するのだなと。
新宿の南口だかで行列出来てるのも確かドーナツでしたよね。
そんな世間とドーナツの熱量と比較して自分のドーナツへの想いの熱の無さは
一体何なのであろうかとミスドの前を通りがかって思ったという話です。


ドーナツて単なるおやつと呼ぶには割とボリュームあるし、
食事にするにはスイート過ぎるような感じで、
何となく「ドーナツの時間」みたいな単独の時間が設けられる印象なんですが、
(ケーキも一緒ですけどね)
みんな日々の中でドーナツタイムとどう向き合っているのでしょうか。
別腹的な姿勢なんでしょうか。
ご褒美的なあれなんでしょうか。
食の隙間に。
夜の8時のドーナツタイムはその前後どうなってるのかと今でも疑問に思うのです。
そのペース配分大丈夫なのかと。
太る太ると思いつつ誘惑に負けてがっつりドーナツを食べる文字通りの甘美。
そんな女子とドーナツとの戦いにふと想いを馳せたりします。
今夜もどこかで誰かがドーナツと真摯に向き合っているのでしょう。
その姿、ドーナツの穴を覗いて見てみたい気もします。