ねこに時間の流れる

山田稔明氏の愛猫であるポチが先日腎不全のため亡くなりました。
亡くなる前、山田氏からは「毎日通院しているんだけどポチも頑張ってるよ」と様子を聞いていて、
ポチなら頑張れるんじゃないかと応援の念を送っていたのですが。
訃報を聞いてから数日間、初めてポチに会った夜のことをずっと思い出していたんですが、
当ブログにその日のことが書いてありました。
2009年の夏だったんですね。
http://d.hatena.ne.jp/fishingwithjohn/20090813
この夜は山田氏とポチと3人でチーズつまみながらワイン飲みながら深い時間まで語らったんですが、
その間ずっとポチは傍らにいて「うんうん、そうだよね」とか「へえー、そうなんだ〜」とか
会話に参加するような感じでそこらに横たわったり体をすり寄せたり、
お尻を上げたりしてくれて(この可愛い仕草は私が最後にポチに会った時もしてくれました)、
ポチが酒を飲めるなら「まあきみも飲みなよ」とお酌したかったくらいなんですが、
何しろその晩は3人で濃密な時間を共有したわけです。
ポール・サイモンのビデオなど見ながら。
私はその時見た風景とか感じた季節の匂いとか抱いた想いとかを鮮明に思い出し、
「ああ、あの夜は本当に楽しかったなあ」としみじみと胸に沁み入ると同時に
「あの時のポチはもういなくなったんだなあ」と猛烈な喪失感も抱き、
とてつもなく悲しくなったのですが、
山田氏に見せてもらった息を引き取った後のポチの姿を見たらあの時と変わらない優しい姿だったので、
安らかに旅立ったのだなと少しほっとしたりもしたのです。


これまで私はポチの招き猫を2体作って贈ったのですが、
最初に作った時は彼のブログに載っているポチの写真を集め「ほう、こんな模様と色合いか」と参考にし、
後は自分の記憶を頼りに描いたのですが、2体目を作る際にはインスタグラムをフルに活用して。
彼はいつ頃からかインスタグラムに毎日たくさんのポチの写真を上げるようになり、
それによってさらにポチのファンも増えたんじゃないかと思うんですが、
何しろそこにはポチの様々な写真が載っているのですよね。
右からの毛並みってどうだったっけと探せば右からの毛並みショットがあり、
耳の後ろの色ってどうだったっけと探せば耳の後ろのショットがあり、
背中のラインを引きで見たいなと思えば背中のラインの引きショットがあり。
本当にありとあらゆる方向からのポチの写真が載っているのです。
それはもう「ポチ図鑑」と称して良いほどまでに。
私はそれを「熟読」しながらまるでポチを手元に抱くようにして招き猫を描いたのですが、
写真を見ながら思ったのは人というのは愛する者のことをこうしてあらゆる方向から見るのだなあというその視線のことで、
これだけ愛情を持って見つめてもらっているポチは何と幸せなんだろうとしみじみ思ったのですよね。
ここに載っているのは元気で可愛いポチの表情たちですが、
中には元気をなくした姿や病に苦しむ姿などもあったことでしょう。
それらもすべて山田氏はあらゆるポチの姿をこの10数年間見つめて来たのです。
私はあらゆる方向から撮られたポチの写真を見ながらその視線の主の「愛しむ気持ち」に胸が熱くなったのですが、
山田氏もポチが元気なうちにその姿をここに出来る限り残しておきたかったのかもしれません。
去年ポチが体調を崩した頃からひょっとして覚悟もしていたのかもしれません。
よく冗談交じりに「ポチが死んだら俺しばらく仕事も何も手につかないだろうな〜」と語っておりましたが、
実際の彼はポチ亡き後、決まっていたイベントにきちんと出席し、
ファンの方々の前で歌声も披露したようです。
ポチも「頑張ったな!」と褒めていたのではないでしょうか。


私はポチが亡き後、それこそインスタグラムに
「最後に作ったポチの招き猫」というコメントと共に自作のポチ猫を紹介したのですが、
山田氏からはすかさず「最後と言わずまた作って!」との言葉をいただきました。
確かに別に最後にしなくても良いのですよね。
本人がいなくなったからといって。
また機会があれば作ることでしょう。
その時はまたポチ図鑑を熟読することになるのでしょう。
「緑の時代」のジャケット写真に映るポチは山田氏の肩に乗りながら
何かを言いたそうな顔でこちらを見ています。
こんにちはとかさようならとか。
あるいはありがとうとか。
本心は「お腹減ったなあ」なのかもしれないですけどね。


ポチ、安らかにお眠りください。
また合流しましょう。