転ぶ話

先日自転車で道を走っていると前方で信号待ちしているスクーターが何かの拍子で倒れ、
乗っていたおばあちゃんも転倒し荷物も散乱していた様子だったので、
急いで近付き「大丈夫ですか?」と声をかけ、バイクを起こし荷物を拾ってあげるも
おばあちゃんは「大丈夫です大丈夫です」と大丈夫を連呼し、
私が手伝ってあげるもそれを迷惑がるかのように「大丈夫です大丈夫です」と
いそいそとスクーターを引きその場を離れ、逃げるように信号を渡って行ってしまったのですが、
あれは倒れてしまったことが恥ずかしいという感情が先行するからで、
みっともない状態の自分を見られたくないというのがあるからなんでしょうかね。
大丈夫をあれだけ連呼する人を見たのは志村けん以来でしたが。
あのおばあちゃん、本当に大丈夫だったんでしょうか。
実際大人になってから(どこから大人なのかはわかりませんが)転ぶと相当恥ずかしいもので、
何もなかったかのように平然と立ち上がり歩き出すというリセット方式を選択する人もいれば
「いててて、まいったなこりゃ」などと転んだ恥ずかしさを独り言と共に周囲に放つシェア方式、
(この方式を用いる人は決まって声がでかいですね)
うわあ転んじゃったという動揺を表情に露わにしつつその場から逃げ去るエスケイプ方式など、
大人は様々な方式を用いて転んだ事実の処理を行うものですが、
先のおばあちゃんの場合はエスケイプ方式を選択したということですね。
私は普段あまり転ぶことがないんですが、もしそうなったらリセット方式を取るような気がします。
「え?転んでませんけど何か?」みたいな涼しい表情で膝の擦り傷をそっと隠すような。
この場合「お前明らかにダメージ受けてるだろ」というのが周囲にバレバレではいけません。
いかに動揺を隠すかのテクニックが要求されますね。
連れがいれば「うわあ、つまずいちゃったよう〜」「お前大丈夫かよ、だせーな」などと
2人の関係性の間で処理出来てしまうので便利なんですけどね。
転んだ時にツッコミを入れたりフォローしてくれたりする「転倒用相方」みたいな便利グッズがあれば、
結構なヒット商品になるかもしれません。
転んだ時、どこからともなく親しい友達風な人物が現れ、
「お前大丈夫かよ、ほら行くぞ!」とか「足下気を付けなあかんで〜」などと言葉をかけてくれ、
実にさり気なく立ち上がる手伝いをしてくれ、
しばらく進んだら「ご利用ありがとうございました〜」とどこへ行くともなく消えるという。
よく転ぶ人なんかは必携のアイテムになるんじゃないでしょうか。
転んだ時だけ出て来る友達というのも凄い存在ですけどね。
そのうち転倒用相方を本当の友達のように思うようになり、
寂しい時なんかにわざと転んだりして出て来てもらって、
「ねえ、今日はまだ帰らないで欲しいんだ、一緒に話を聞いてくれないかな」
「お客様、困ります。私は転倒時の恥ずかしさを誤摩化すためだけにあなたの前に現れているのです」
「だったらずっと側にいてよ、僕の人生転びっぱなしなんだよ!きみがいないと立ち上がれないんだよ!」
「お客様…!」
みたいな感じで下手したら恋愛に発展してしまうかもしれません。
同性の場合は何だか禁断な感じになってしまいますけどね。


転倒時にひとりで誤摩化すのも手かもしれませんが、
周囲に助けを求めて素直に甘えるヘルプ方式を取るのも良いことかもしれません。
この先転ぶことも多くなることでしょうし。
この転ぶは色々な意味での転ぶですが。
震災以降特にそういうことを思ったりします。
何だかACのCMみたいな締めになってしまいましたが。
話の転ぶ先はわからないものですね。