くちびるに薔薇を

先日、朝に髭を剃ろうとカミソリを下あご辺りに当てていたところ、
ふと手が滑って下くちびるのところを切ってしまい、
どくどくととめどなく血が流れ出て来て。
うわあと慌ててティッシュで抑えたのですが、
皮膚が柔らかい場所のせいか血がなかなか止まらないのですよね。
気付けば血まみれのティッシュが散乱という感じで。
まあそのうち凝固するであろうと待っているとやがて固まるのですが、
血の塊が下くちびるに何かの生き物のようにぶらさがっていて、
何だか不吉な様相を呈しているわけです。
仕方なくそれを洗い落とすと
「待ってました!」とばかりにまた血が勢い良く流れ出て来て。
何とも困った状況になってしまい。
血はどうしてかくも元気なのであろうか、その元気を分けて欲しいものだと
己の身体を疾駆する血液に元気を分けて貰うというよくわからない願望を抱いたのですが、
この日は取材で写真を撮られなければならないのであり、
何とかこのくちびるの血を誤摩化さなくてはいけないのであり、
仕方なく絆創膏を貼るという初歩的な怪我の処置を施してみようかと下くちびるに貼ってみるも
絆創膏で抑えられた口がひん曲がって不貞腐れてる奴、みたいな人相になってしまうのであり、
これでは爽やか五十嵐くんではなくなってしまうぞ、
不貞腐れ五十嵐としてイメージがダウンに次ぐダウンであるぞと焦った結果、
仕方なくそのまま放置し、写真撮影の際に洗い落とすという作戦を遂行するに至ったのです。


果たして、それから取材のためにカメラマンの板東さんが現れたのですが
(この日は招き猫倶楽部の機関誌の取材だったのです)
なるべくくちびるを見せないように振る舞っていたら気付かれずに済み、
いざ写真撮影の前にはさり気なくくちびるの血の塊を洗い落とし、
何事もなかったように爽やか五十嵐くんを演じてみせて、
何とか取材をやり過ごすことに成功したのでしたのですが
(ひょっとして板東さんは気付いていたかもしれないんですが)、
その日はそれだけでなく、地元の中学生が職業体験の授業とかで、
張子作りの仕事を体験しに来るという日でもあったのであり、
しかも来るのは可愛い女子2人だとのことであり、
中学生の思春期の女子が相手となるとぱっと私の顔を見て
「あれこのおじさんくちびるのところに血の塊が付いているわ」
「変よね」
「うん、変」
「きっとひげ剃りに失敗したのよ馬鹿よね」
「うん、馬鹿」
「馬鹿相手に私たち仕事を教わるのかしら、嫌よね」
「うん、嫌」
「帰ろうか」
「うん、帰ろう」
と帰ってしまう可能性もなきにしもあらずなのであり、
仕方なく中学女子が来る直前にくちびるを洗い、
血の塊を払拭し爽やか五十嵐くんイメージを全力で構築し、
血が滲んで来たら舌でなめるという犬のような作戦に打って出たのですが、
少女たちを目の前にして舌なめずりするという図は変態以外の何者でもないのであり、
仕事内容を指導する際にもくちびるをなめている私を見て
「この人変態よね」
「うん、変態」
「帰ろうか」
「うん、帰ろう」
と帰ってしまうのではないかとひやひやものだったのですが、
彼女らも見知らぬ体験授業のせいで緊張していたのか、
私の舌なめずりにも気付かぬ様子で。
何とか帰らずに真面目に仕事をしてくれたのでした。


その後も夕方くらいまで血が滲む状態が続いたのですが、
舌でなめるという犬作戦をくししていたら何とか夜には止まりました。
己のくちびるの軟弱さにお前もうちょっと何とかしろよ鍛えろよと
筋力トレーニングを提案したい衝動にも駆られたのですが、
まあくちびるは鍛えようもないですからね。
fwjの曲に「くちびるに秋桜」というのがあるのですが、
この日はコスモスならぬ「くちびるに薔薇」といった様相でした。
真っ赤な薔薇をくちびるに咲かせて。
見ようによってはセクシーなくちびるだったんですが。
中学女子くらいの若さではこのセクシーさは理解されないことでしょう。
残念であるよなあと思いながら血の赤をルージュの如く広げて悦に入った私です。


この赤いくちびる。
桑名よりもセクシャルバイオレットNo.1で。