雲の上と下の物もの

暖かくなったと思ったらまた寒くなったり
三寒四温的な感じで春に近付いているのでしょうかね。
もういい加減寒の戻りとか勘弁して欲しいものです。
戻らずに正面を見据えて潔く去れよと寒さに言いたいのです。
こんだけ寒かったら折角早めに咲いた桜も
「こんな寒いんだったらまだ咲かなかったわ〜」と若干の後悔をしていることでしょう。
「いつ咲くの?」「今でしょ!」とばかりに突っ走った桜の若さ故の暴走に
桜の長(おさ)が「例年人間どもは桜関連のイベントを4月頭に組んでおるのじゃ。
それが台無しになるという大人の事情を鑑みて咲きなさい」と懇々と諭したことでしょう。
諭したところで若さ故の暴走は元には戻らないのですけどね。
「いつ咲くの?」「頃合いを見てでしょ!」と時を読む大人のテクを身に付けていただきたいものです。
早めに咲いちまった桜は早くも散り始めている模様です。
4月になる前だというのに。


引っ越し後、荷物をようやく片付けているところなわけですが、
結局のところ本とCDと機材に集約されるわけで、
もう一生これが付いて回ると思うといっそ全て捨ててやろうかなどという
どこぞの者が考案した断捨離などという言葉がふと浮かんだりもするのですが、
私はあえてそういう言葉に乗らないというか安易に乗ってたまるかという
パンクな思想が誰も得をしないのに頭に満ちてしまう傾向があり、
断捨離なんか絶対しねえ、全ての物を俺は今後も連れて生きてゆく!と、
舌を出し中指を立てたりしてみたのですが、
よくよく考えたら私は誰に向かって舌を出し中指を立てているのだろう、
いらないものは素直に捨てれば良いじゃんと冷静な意見をもうひとりの五十嵐くんが言うので、
そうだな、いらないものは捨てようとこれを機に選別をするに至ったのですが、
こんな逡巡をしているから物が片付かないわけなのだなとほとほと己に呆れてしまうわけなのです。
しかし物を個人で所有してなくてもいいじゃんという気持ちも確かに昨今覚えるのであり、
例えば私はいつからか漫画をほとんど買わなくなったのですが、
それは漫画喫茶に行けば読めるじゃんという、
漫画喫茶を自分の部屋の延長と捉えるようになったからなんですが、
そういう捉え方をすると個人所有の意味合いが変わってくるのですよね。
最近はクラウド化などで色々な場所からデータにアプローチ出来るし、
物をシェアするというのもそれはそれで利便性あるよななどと考えたりもするのです。
最近の若人などは「は?音楽なんてyoutubeで聞けるじゃん」とCDを買わないなどと聞くと、
己の部屋で山積みとなっているCDは一体何なのだろうと途方にも暮れるわけですが、
まあ確かにそれで気軽に未知の音楽にアプローチ出来る利便性はありますからね。
一方で山積みのCDもそれだけの時間とお金を割いて来たから
今の私が形成されているわけだもんなあと己の歴史を振り返ったり、
物として愛でたり、youtubeとは全然違う音楽の在り方ですからね。
いっそCDだの本だのを全部データ化して1台のPCに突っ込んで、
自分が死んだらそのPCのハードディスクと共に焼いておしまい、
なんていうのもスマートであると思ったりもするのですが、
それは流石に味気ナッシングだよなあと抗いたい己もいるのです。
物として残したいし物として触りたいし物として所有したいという
抗い難き物欲と共に私は今後も余生を過ごして行くのだろうなと
山積みの物物を見つめながらふと想いを馳せてしまう私です。