夏のスズノネ

気が付けばもう7月なわけです。
早いのです。
早過ぎるのです。
もうサラダ記念日かあと暦を振り返ってみる私です。
そしてサラダにドレッシングをかけて喰らうのです。
どんな美味しいドレッシングをかけて食べたのでしょうか、先方は。
記念日を制定させるほどのサラダです。
余程のデリシャスっぷりなのでしょうね。


先日、トーンチャイムという楽器を裸のまま鞄に入れて歩いていたのですが、
流石にむき出しのままだとちりんちりん歩く度にその音が鳴り響いてしまい、
ああこれは迷惑だったかな、何かに包んで音が鳴らないようにしてくれば良かったと思ったのですが、
初夏の夕暮れの街に響くチャイムの音が何だか凛として涼しげで耳に心地良く、
まあこれはこれで良いか、そんな大きい音でもないしなと、
その音色を半ば堂々と鳴らしながら己の歩みを進めたのですが、
街行く人たちはどこかで風鈴でも鳴っているのかと思うのか、
鈴を付けた猫が軽快に歩いているとでも思ってるのか、
(まあ鈴を付けた猫が道を軽快に歩いていたらむしろ注目すると思いますけど)
その音の出所をきょろきょろと探ることもなく通り過ぎて行くのですよね。
鈴の音って街にすんなり馴染むものなのだなあと思ったりしたのですが、
よく鞄や財布や携帯に鈴付きのストラップをぶら下げていたり、自転車の鍵に鈴を付けていたり、
なにかしら身に付けるものに鈴が付属しているパターンて多いですよね。
あれは防犯や安全や確認のため「私ここを歩いていますよ」という主張のためもあると思うのですが、
そのせいか鈴の音ってよく街中で耳にする音のような気がするんですよね。
一番日常で身近にある楽器って実は鈴なんじゃないかと思うのです。
それこそ夏になると風鈴の音を住宅街でも耳にしますし。
魔女の宅急便」で主人公のキキが旅立つ際に樹に付いている鈴の音を鳴らすくだりがありますが、
あれは原作者の角野栄子さんが宮崎監督に指定したらしいですね。
「旅立ちの際に鈴を鳴らして欲しい」と。
あの鈴の音がとても印象的なんですが、鈴って神具としても用いられますし、
何かしらの儀式の際に使われる神聖な響きもありますよね。
あのキラキラした音は楽曲のアクセントとしても重宝されるもので、
私も何種類か所有しているのですが(そのうちのひとつがトーンチャイムなんですが)、
あの心地良い響きは何なのでしょうかね。
鈴の音の綺麗さ。
鈴を転がすような声とかいう形容の仕方がありますが。
あの音の周波数の耳への届きやすさや人間の快感へのつながりなど
専門的な話はよくわかりませんが鈴の音って良いよなあとトーンチャイムを持ち歩いていて改めて思った次第です。
猫が首輪に鈴を付けているのも猫の行動をわかりやすくするためというより、
あれがまるで猫の足音みたいでキュートだから付けたんじゃないかと思ったりするのですよね。
しゃんしゃんしゃんと歩くサウンドは猫っぽくてとても可愛いと思うのです。


ねずみが猫の動きを把握するために(襲われる危険から逃れるために)
猫に鈴を付けた方が良いとなったものの、
いざ付けるのは危険を伴うので誰も出来なかったという寓話から
「Who will bell the cat?」ということわざが生まれたそうですが、
(「言うは易く行うは難し」みたいな意味ですかね)
危険な猫に鈴を付けるという困難な行為に身を投じている人が実際いるのだよなあと
原発事故の処理に携わる人たちのニュースを見て思った次第です。
(山田氏がそのことわざを記した反原発のTシャツを作っていたのは印象的でした)
トーンチャイムの心地良い鈴の音を聞きながら、
これが危険を知らせる音でなければ良いなあとしみじみ思う私です。
これからあちこちの軒先で風鈴が涼を呼び込むことでしょう。
その鈴の音の美しさに耳を傾けていたいものです。
これぞ日本の夏だよなあ、などと思いつつ。