8センチ円盤今昔

先日、某雑誌の特典CDを聞きたいと思いオークションにて入手したのですが、
いざ手元に届いてみたらこれが8センチCDだったのですよね。
最近とんと見かけなくなったシングルCDというやつです。
近頃はCDは専らPCに取り込んでiPodに転送して聞いているのですが、
私の使ってるノート型のPCだと8センチCDは入らない仕様になっているのですよね。
もう前時代のものとして認識されているのか、本体に音源を取り込めないのです。
以前、何とか入らないものかと8センチCDをMacBookのディスク入口まで持って行ったことがあるのですが、
何の反応もしないMacくんの様子に苛ついてつい手でディスクを押してしまい、
そのまま中に入れてしまうという事件が勃発し。
私は慌てて「わ、馬鹿っ、それは食べられないよ!」と取り出そうとするも
Macくんはそれを吐き出すこともせず。
「わーい餌だ〜」と口に入れたまま平然としているのです。
異物を飲み込んだら吐き出すという生物としての本能が備わってないのです。
何故なら彼は生物ではないからです。
当然データは読み込まないは取り出せないわの二重苦です。
体を揺すったり叩いたり「おーい、吐き出せ〜」と声を掛けてもディスクは出て来ません。
このままだと一生8センチCDを中に入れたままの生活になってしまいます。
もう他のディスクを入れることも出来ません。
「ノート型PCに8センチCDを入れたダサい奴」というレッテルを貼られて
私も彼も今後余生を生きていかねばならないのです。
何たる苦悩に満ちた人生でしょう。
私のようなミステイクを犯した者はいないかと試しにネットで検索すると
似たようなことをしでかした痴れ者がわんさか出て来て、
みなこぞって「自力で何とか取り出した」という対処の仕方をしており。
仕方なく私も硬めのポストカードを2枚ディスク口に差し込み、
挟み込んで取り出すという作戦名「往復葉書」を遂行するに至り、
「おーい大丈夫か、暗くないか〜?」
「大丈夫です、隊長〜(私のことです)」
などとポストカードたちと会話を交わしながらMac内の闇と格闘し。
何とか試行錯誤しながら作業すること数分、無事8センチCDはMacから救出され。
私も全国の同志と同じくして自力で取り出すという対処に成功したのです。
あれで取り出せなかったらアップルストアに「誤って8センチCDを入れてしまいまして…」と持参し、
店員に「こいつ阿呆だな」と思われながら取り出して貰うという事態になるところでした。
恐ろしいことです。


そんな8センチCDという存在ですが、一時期は全盛を極めたんですけどね。
そのうち「あったよね〜」と懐かしの存在として語られることになるんでしょうか。
私の手元にも結構な数のシングルCDがあるんですけどね。
小沢健二の90年代の一連の傑作シングルがこぞってあの仕様で出ていて、
未だにアルバムとしてまとめられていないので困るのです。
あのミニサイズ感は見た目にも可愛くて憎めないんですけどね。
いかんせんPCに入らないという。
最近のMacbookなんてディスク入れる口すら搭載してない機種がありますからね。
もうディスク自体の時代が終わりと宣言されてるようなものです。
ましてやシングルCDなんてという話です。
8センチCDで思い出すのが漫画家の本秀康氏が「レコスケくん」の中で
ジョージ・ハリスンの3枚組アナログ「オール・シングス・マスト・パス」(CDでは2枚組)を
8センチシングル3枚組にしてミニチュアサイズで復刻出来ないかと妄想するくだりで、
それだと収録時間の都合で収まらない、どうしようと苦悩するのが面白かったんですが、
ああいう妄想も出来なくなるということでしょうか。


棚の一角に並ぶ短冊形のシングルCD群を見ると己の90年代を見るようで心苦しくもあるわけですが、
いつしかまた愛おしくもなるのであろうと捨てられずにいるのです。
またいつか復活する日が来るのでしょうか。
懐かしアイテムとして。